追伸記事
7月7日の七夕決戦。東京都知事選小池百合子現職知事が当選。
現職知事の小池百合子さんが当選いたしました。
おめでとうございます。益々の検討を祈ります。
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小池百合子若い頃の画像年表
小池百合子さんと言えば、その時代の変化を敏感にとらえてきて行動に移してきたと思います。
ニュースキャスーターから始まっていろんな政党に入退したり党の代表・会長したりそして自民党の総裁選まで出馬までしたキャリアウーマンです。
著者が初めて小池さんをテレビで見たのは、50年前の竹村健一の世相講談です。その横に座ってた美人キャスターが小池百合子さんです(当時27歳です)。竹村健一さんが、カイロ大卒のアラビア語を話せる才女と紹介していたのを覚えています。
そして、ニュースキャスターから政治家になり数々の役職をされて、2016年女性初の東京都知事として2期務めて、今回3期目も立候補表明しています。
安芸高田前市長の石丸信二さん、前・立憲民主党の蓮舫さん、元航空幕僚長の田母神さんその他56人の人が立候補しています。
今回は、厳しい戦いになると思いますがどうなるでしょうか。
そして、改めて小池百合子さんの若い頃の参議院議員初当選まで振りかえって見てみたいと思います。
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小池百合子の両親
小池百合子の父親
父・小池勇二郎と母・恵美子の両親のもとに生まれています。兄妹は兄の勇がいて4に家族です。
- 小池勇二郎のプロフィール
- 出身地:兵庫県神戸市
- 生年月日:1922年8月6日-2013年5月24日(90歳没)
- 学歴:1944年(昭和19年)中央大学専門部商科学科卒業
- 配偶者:小池恵美子(2013年9月13日88歳没)
- 長男:勇
- 長女:百合子
小池百合子さんの父親は当時で大学を卒業されていますから、実家はかなり裕福だと思いますが、終戦後はペニシリンなどを扱う闇市で財を成し、石油を扱う貿易会社を複数経営したほか、関西経済同友会の幹事を歴任した。その際にエジプト、サウジアラビア、クウェートなどのアラブ諸国の指導者層との人脈を形成したといいます。
1952年(昭和27年)7月15日に、長女百合子が生まれる。
1959年(昭和34年)、末次一郎が主催する日本健青会がエジプトとの交流事業を始めた。末次に心酔していた小池は視察団に参加。視察先のエジプトのカイロで「自分はここに残って商売がしたい」と言い出すも、結局、周囲に説得させられて帰国。小池百合子のエジプトの縁はこの時に端を発したとされています。
1968年(昭和43年)7月の参議院議員選挙に石原慎太郎が自民党公認で全国区から立候補。この時小池は関西の選対で陣頭指揮を執ったとされる。
1969年(昭和44年)の第32回衆議院議員総選挙に旧兵庫区(定数5)
から無所属で立候補したが落選。
この時に政治に夢中になりすぎていたため、1971年(昭和46年頃)成功していた会社も倒産し、債権者が小池に押し寄せたという。
石原の有力後援者で当時空調工事会社を経営していた朝堂院大覚が小池を支援。小池は朝堂院の支援でエジプトのカイロで日本食レストラン「なにわ」を開き生計を立てているが、百合子がエジプト留学中にこれも倒産しています。
その後も、精力的に活動して
- 航空技術サービス格社長
- 関西経済同好会幹事
- 全国中小貿易協会理事など務めています。
この時に石油関連貿易会社を通じてエジプト、クウェート、サウジアラビアなどアラブ諸国の指導者層と人間関係を築いたといいます。20年以上にわたり生活の基盤はアラブだという。
その後日本に帰国し90歳で亡くなっています。
やはり、小池百合子のお父さんは凄い人だったのだと思います。
小池百合子の母親・恵美子
母親の恵美子(えみこ)さんは(2013年9月13日/88歳没)
母親の恵美子さんは無類のたばこ好き
恵美子さんは亡くなる前までタバコを辞めることはなかったようです。
たばこタバコが大好きで、入院先の病室で豪快にタバコをふかし、大目玉を食らって追い出されたこともあるほどです。
このようなエピソードがあるほどです。
しかし、自宅で介護をするようになって、最後は介護の先生が「タバコをすってもいいですよ」と許可して、本人は大喜びしたといいます。
「最後まで自分のしたいことを」をさせてあげたことは百合子さんにとっても悔いはないと思います。
母親の恵美子さんは1925年大正14年生まれで、自身が青春時代を戦時中にすごした経験から「好きなことができるのだからそれをしないなんて駄目よ」と良き言われていたという。「ほかの人と違いこと」を良しとする母親だったそうです。
小池百合子さんが、エジプトのカイロ大や女性初の都知事などの生き方やそのチャレンジ精神は母親の影響が大きいと思います。それを行動に移してきたことが、小池百合子さんの凄い事です。
兄:勇(いさむ)
「学歴詐欺疑惑」をきっぱり否定
兄の勇さんは、妹(百合子)との仲はよくないって、最後にあったのは父の7回忌の時だという。
父・勇二郎さんに資金援助した”最後のフィクサー”こと、朝堂院大覚(ちょうどういん・だいがく)が追及会見開いての小池百合子さんの「学歴詐欺疑惑」が再燃していることについて、きっぱり否定しています。
勇さんは「学歴詐欺」なんて言われているけど、カイロにいた俺は目の前で卒業したのを見てるよ。「兄ちゃん、卒業したよ」って挨拶に来ていたという。
前述の朝堂院大覚氏の会見について、「全部大嘘です。」と言い切っている勇さん。ここまでこの問題が長引ている要因について、百合子の性格を分析しています。
「あれはけっこう秘密主義やから、ピシットと閉ざしちゃう。また、ネタされるのが嫌なんじゃないか。卒業証書も出したら出したで、スタンプが違うとか言うやん。だから出してなかった。(当時、証書をみたか?)『こんなんや』ってちらっと見たかな・・・見ていないかな・・・」
妹の政治家としては大いに評価しているという。
カイロ大学卒業疑惑
選挙前になるとカイロ大学卒業を疑う報道が行われる傾向にあるが2020年にカイロ大学は「1976年にカイロ大文学部社会科を卒業したことを証明する」と表明し、経歴詐欺疑惑を否定しています。
このようにカイロ大学は表明しています。
妹の政治活動については、日本新党で初当選した時に選挙を手伝ったきりという。その時は俺は英語がしゃべれるんで、外国人記者の窓口的なことをも少ししましたと述べています。
都政はにはまったく携わっていないという。
勇さんは妹の姿勢をこう評価しています。
まあ『機を見るに敏』だね。その見極めはすごいね。よく”風見鶏り”って言われるけど、党は違っても主張は変わってないでしょ」
兄妹にとって、父親の存在は大きかったようです。父親が1969年の衆院議員選挙に出馬した際は、2人とも選挙を手伝っていたといいます。
父親の勇二郎は選挙に落選しましたけど、その時の経験があるから百合子は選挙に強いんじゃあないか
と語っています。
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小池百合子の生い立ちと幼少期
小池百合子さんは、兵庫県芦屋市で生まれています。
小池百合子さんが自身の小学生の時のバイオリン発表会の時の写真をアップされています。可愛い百合子さんの様子が伺われます。
父の小池勇二郎さんが、石油関連の貿易商として財を成し遂げていた。父親は政治家への転身を考えていて末次一郎に心酔していたいいます。
1959年に末次が主催する日本健青会がエジプトとの交流事業を行い、その一環としてアラブ、アフリカ諸国に視察団を起こる。視察団に参加した勇二郎さんはエジプトのカイロで感激し「自分はここに残って商売がしたい」と言い出しましたが、結局、周囲に説得されて帰国しましたが、小池百合子とエジプトの縁はここに端を発したと言われています。
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小池百合子の学生時代
小池百合子さんは、芦屋市立小学校、甲南女子中学校、1968年に甲南女子高校に進学しています。
兵庫県内でも女子中高一貫校で3位に入る名門校だそうです。
小学5年生の時弁論大会で優勝
小池百合子さんは少学校5年生の時に校内の弁論大会で優勝されています。
また中学生からは在学中にはテニス部、ソフトボール部、ESS部で活躍されています。
小池百合子さんはかなり充実した学校生活を過ごされていたことが想像できます。
小池百合子は小学生から中学生までガールスカウトで活躍
当時を知っている講師の方は小池さんが自主錬に励む姿を目撃されていたといいます。
当時のことを小池百合子さんは
いろいろ教えてもらえるリーダー(指導者)の存在からは、リーダーシップを学べます。私が小学生から中学生まで続けた間にいろいろな先輩に教えていただいたことは、とても大きな糧になっていまね。
語られています。
1971年の3月、小池百合子は甲南女子高校卒業。同年4月、関西学院大学社会学部に入学。
小池百合子さんは、少学生時代から弁が立つし高校生の時は自己のキャリアアップを考えていたそうです。この時から小池さんが自身の基礎のものが備わったと思われます。
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エジプト留学
1971年4月に関西学院大学社会部に入学されています。同年の9月に大学を中退して父親の貿易先でもあったエジプトへ留学。「国際連合が公用語にアラビア語が加わる」旨を新聞記事を読んだのがきっかけという。
エジプト・カイロ留学時代
小池百合子さんはアラビア語通訳を目指し、カイロ市のカイロ・アメリカン大学東洋学科に入学。ここでアラビア語を学んだといいます。
エジプト滞在中にカイロ近郊にあるギザの大ピラミッドを登り、その天辺で茶道の形式に則りお茶を立てています。
両親は朝堂院大覚(松浦良右)の資金援助でカイロ市で日本食レストランを経営するが、その会社は小池さんの留学中に倒産しています。
1972年カイロ大学に入学
1972年9月、カイロ大学の入学手続きを行い、同年10月、同大学文学部社会学科に入学。小池さんの著書によれば1年目に落第したという。
1974年に同大学3歳年上の日本人留学生と結婚。夫はその後同大学で進級できず卒業をあきらめ、サウジアラビアに引っ越して就職。結婚は3年後に離婚されています。
1976年、日本航空カイロ支店の現地スタッフとして働き始めています。同年10月に同大学文学部社会学科を卒業。
同年10月11日、来日するエジプトのサダト大統領夫人のジハン・サダトをエスコートするために、一時帰国。11月にまたエジプトに戻り、12月に正式に帰国しています。
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通訳・ニュースキャスター時代
小池百合子さんは帰国後はアラビアご通訳として活躍されています。
父の勇二郎の友人で民族主義者の中谷武世が会長を務める日本アラブ教会の嘱託となり通訳兼アラビアご講師を担当。
PLO議長のヤーセル・アラファートやリビアのカダフィ大佐と単独会見
1978年、テレビ局のコーディネーター兼インタビューとして、PLO議長のヤーセル・アラファートやリビアのカダフィと単独会見を行っています。
1979年竹村健一の世相講談でアシスタントキャスターに
1979年、日本テレビのトーク番組『竹村健一の世相講談』のアシスタントキャスターに抜擢されています。
- 『海外ウイークリー』の幸田シィーミンや野中ともよ
- 『BIG NEWS SHOW いま世界は』の安藤優子より1年早いデビューです。
元々フリーから出発した女性キャスターとして草分け的存在です。
小池百合子さんは、竹村健一の世相講談で、「ハーリド国王」が死去したことを伝えいうとしたが「竹村健一」が、
「君はアラブのことを知っているから『ハーリド国王』といえば、すぐに分かるが、視聴者はサウジアラビアという国があって、そこは王制でというところから説明しないと分からない。ただし、説明が長すぎると飽きられるよ」
メディアを知り尽くす、竹村さんらしい叱咤(しった)されたそうです。
恩師、竹村健一さんは2019年7月8日(89歳)で死去されいます。
小池百合子さんが竹村健一にの訃報に対して
「竹村先生とはテレビ番組でもご一緒し、大変学ばせていただきました。お亡くなりになったとの報に接し、大変残念に、また寂しく感じております。謹んで哀悼の意を表し、心からご冥福をお祈りいたします」
と語っています。
竹村健一の番組のアシスタントは1985年まで7年間務めています。
著者はこの竹村健一の世相講談はいつも楽しみにしていた番組でした。この時の小池百合子さんも素敵で、今も東京都知事で活躍されているのが本当に凄い事だと思います。
1984年、ヌスレット・サンジャックリの抗議により「トルコ風呂」の名称が「ソープランド」に改められた際、小池はこの運動を支援しており、本人も後日新聞報道でそれを認めています。小池によれば留学生の熱心な訴えを聞き、国家の尊厳を守るという「大儀」に加えて、個人的な共感でもあったとという。自ら厚生省に乗り込み、当時大臣だった渡部恒三に「日本中にトルコの名前が出ているが、「これはやめてくれ」と直談判、渡部の指導により『トルコ風呂』という名称は使用されなくなった。
1988年(36歳)テレビ東京『ワールドビジネスサテライト』初代メインキャスターに就任。1990年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞。
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日本新党公認で参議院議員に初当選
1992年(40歳)7月の第16回参議院議員通常選挙を前に、複数の政党から立候補の誘いを受ける。細川護熙は同年5月発売の『文芸春秋』に「『自由社会連合』結党宣言」と題する論文を寄稿し、新党を旗揚げを発表。その中の一つに小池がメインキャスターを務める『ワールドビジネスサテライト』があった。
番組出演ご、元『朝日ジャーナル』編集長の伊藤正孝が間に入り、朝日新聞鹿児島支局で同僚だった細川に小池を新党に白羽の矢をたてると、「政治を変えるのには大きな中古車を修理するのではなく、小さく手も新車の方がいい」との理由で5月22日に結成された日本新党に野田佳彦、前原誠司らとともに入党しています。
小池百合子の日本新党の比例順位で異例の待遇
小池百合子さんは代表の細川さんに次いで2番目にに記載されたことで、日本新党の政策を立案した組織委員長の松崎哲久は5位、「ニコニコ離婚講座(現・離婚と母子の110番)」の創立者の円より子は7位、テニス選手の佐藤直子は9位に記載されていた。この措置に対して、小池が参加する前から細川を支えてきた党員の一部から強い不満の声があがって、佐藤は小池より自分が下位に置かれたことにショックと怒りを覚え、比例順位が伝えられたその日に出馬を取り止めたといいます。
こういうことはどの世界でも起こっていると思います。細川さんの抜擢も凄いと思いますけど、それだけ小池百合子さんに期待していた証だと思います。
また、小池さんは、ニュースキャスター時代から脚を見せるのが好きなようで、自分の強みで選挙戦を優位に進めるために考えて、マスコミに向かって「選挙もハイヒールとミニスカートで通します」と宣言し、街宣車のはしごに足をかけるときはローアングルで構えるカメラマンに「それ以上、近づいちゃだめよ」と笑顔で注意しています。
初当選後は、いきなり週刊誌3誌で連載コラムを持ち、その一つ「週刊ポスト」のコラムのタイトルは「ミニスカートの国会報告」として毎回ミニスカート写真を添えていたといいます。
やはり小池百合子さんは戦略的で敏を見て攻めることは、今まも活躍されているのが凄い女性だと思います。
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小池百合子のプロフィール
- 小池百合子さんのプロフィール
- 生年月日:1952年7月15日
- 出生地:兵庫県、芦屋市
- 出身校:カイロ大学文学部社会学科卒
- 血液型:A型
- 星座:かに座
- 干支:辰年
- 前職:ニュースキャスター・アラビアご通訳
1992年に政治家に転職 - 前職:防衛大臣(2007年-207年)
- 両親:小池勇二郎、小池恵美子
- 兄:小池勇
- 現職:東京都知事2016年から
- 設立した組織:都民ファーストの会、希望の党
- 書籍:振袖、ピラミッドを登る、その他
小池百合子さんは幼少期からお父さんの勇二郎さんの仕事がエジプトのつながり端でもあり、「国際連合が公用語にアラビア語が加わる」という記事を新聞で見てエジプトに19歳の時にカイロに留学しています。
また母親から常に、「好きなことができるのだからそれをしないなんて駄目よ」の言葉が頭にあり、「こうと思ったときの直観力と行動力は抜群」。これは天性だと思います。
また、小学1年生から中学3年生までガールスカウトで活動されてきたこともあると思います。高校生からは、自分がどうしたら輝けるかを意識してきたことも、現在までも政治家としても活動に生かされていると思います。
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まとめ
小池百合子東京都知事が3期目の都知事選に立候補しています。
小池百合子さんが6月23日の青梅河辺駅前で選挙遊説に来たので、大勢の人の中に混じって聞いてまいりました。
小池さんは前に見た時よりお年を召したように感じましたが、結構小池さんの支持があり演説で大いに盛り上がり、見ていて面白かったです。
小池百合子さんの幼い頃から見てきましたが、お父さんのエジプトのかかわりから百合子さんの政治家としての始まりだったと思います。
小池さんのエジプト大学の登録名は「ユリコ・ユージロー・コイケ」とお父さんの名前(勇二郎)を入れるのが慣例だそうです。
小池百合子さんのその行動力は驚く点です。お兄さんの勇さんも言っていましたが「気に見る敏」に敏感だと思います。そして実行する。
そして若い娘の時から貫いてきたことが凄いです。父の勇二郎さんは「荒天功」と言われていたといいます。その遺伝子を受け継いだのだと思います。
お父さんは、政治家になれなかったけど、百合子さんはニュースキャスターから政治家にそして東京都知事を二期務められて今度3期目に立候補されています。
今までコロナで政策も思いようにはいかないことがあったことだと思いますが、当選されたら是非住みやすい東京にして頂きたいと願っています。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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