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柴田恭兵さんは大学を卒業後はサラリーマンをされていた時に、同郷の東さんに誘われ「東京キッドブラザースに入団」。そして同年「十月は黄昏の国」に出演すると、初舞台にかかわらず、その甘いマスクと切れのあるダンス、良くとおる声で瞬く間に人気を博したのです。
1986年に舘ひろしとのコンビで主演を務めた「あぶない刑事」(日本テレビ)で爆発的に人気を得ています。
そこで今回は柴田恭兵さんの本名、韓国人、ハーフ説まで調べて紹介します。
- 柴田恭兵の本名は
- 柴田恭兵は韓国人・ハーフ説?
- 柴田恭兵の生い立ち・プロフィール
- まとめ
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柴田恭兵の本名は
柴田恭兵さんの本名は柴田恭兵(しばたきょうへい)です。
芸名も本名で活動しています。
名前の通りつつましく誠実な感じがする柴田恭兵さんです。
「あぶないで刑事」で共演された舘にろしさんから「恭さま」と呼ばれたいます。
それだけ敬意をもって接していることだと思います。
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柴田恭平は韓国人・ハーフ?
柴田恭兵さんは結論から言うと純粋な日本人です。
韓国人というのはデマのようです。
香港のアクション俳優と柴田恭兵が激似
柴田恭兵さんは、在日韓国人ではないけれど香港はアクション俳優のユン・ピョウさんの若い頃に似てることが、同じアジア圏の韓国人といわれる所以かもしれません。
柴田恭兵さんと香港アクション俳優のユン・ピジョンさんは本当によく似ています。
ユンさんのほうが6歳年下になります。1957年生まれで同世代になります。
現在はカナダ十住在のようで、アクションのほうも健在のようです。
柴田恭兵さんの「帰ってきたあぶない刑事」で切れのある動きも健在のようですので、これからも活躍してくれると思います。
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柴田恭兵の生い立ち・プロフィール
- 本名は:柴田恭兵(しばたきょうへい)
- 生年月日:静岡県清水市(現:静岡県清水市区)
- 学歴:日本大学経済学部卒
- 身長:176cm
- 血液型:AB型
- 干支:ウサギ
- 星座:しし座
- 職業:俳優・歌手
- ジャンル:映画・テレビドラマ
- 活動期間:1975年ー
- 配偶者:あり
- 趣味・特技:野球・ゴルフ・三味線
柴田恭兵の生い立ち・経歴
柴田恭兵さんは実家はJR草薙駅前にある鮮魚店「魚新」を営むお父さんのもとで5人兄弟(兄が2人、姉が1人、弟1人)の真ん中に生まれています。子供のころは良く、実家の手伝いをさせられていたそうです。
幼い頃はガキ大将で、中学時代には野球部に所属するなどの活発な子供だったそうです。
柴田恭兵さんは1970年に日本大学経済学部に入学すると、大学進学と同時に上京すると、地元の同級生がミュージカル劇団「東京キッドブラザーズ」のスタッフをしていたことから、主宰者の東由多加(ひがしゆたか)さんと知り合いますが、柴田さんは、役者になろうという気はなくむしろ、当時交際していた女性との結婚を考えていて、結婚資金をためるため、大学卒業後はアパレル関係の会社に就職し営業として働いています。
ある時たまたま、見学に行ったときに東さんから「演技できなくていい、カッコよければいい」と言われ「東京キッドブラザーズ」に入団しています。
そして同年、「十月黄昏の国」に出演すると初舞台。
柴田さんの甘いマスク、キレのある動き、良く通る声は舞台の存在感を示して、瞬く間に人気を博すと、チケットが飛ぶように売れたそうです。以降柴田さんは「東京キッドブラザーズ」の看板俳優として活躍されたのです。
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村川監督の目に留まりスカウトされる
劇団「東京キッドブラザーズ」に入ってで活躍して2年過ぎたころ、小劇場を回っていい役者を探していた時に村川透監督に目に留まり
村山透監督が、主宰者の東さんに
柴田という役者をテレビドラマで使わせてくれと直談判したそうで、本人がいいんだったらと許可したそうです。
最初は拒んだそうですが、村川監督の熱意に出演を承諾したのです。
1977年(昭和52年)「大都会PARTII]でテレビ初出演。村川監督は「蘇る金狼」などで松田優作作品を数多く手がけた監督です。
1978年(昭和53年)刑事ドラマ「大追跡」に滝本刑事役で出演。これが、テレビドラマ初レギュラー出演になっています。
1979年(昭和54年)「赤い嵐」で連続ドラマ初主演。
大ブレイク。以降も「あぶない刑事」シリーズでヒットされて、連続ドラマ主演数は20本を超えています。
2005年(平成17年)2月5日に村川透監督の故郷・山形県村山市で開催された「第一回村川透映画祭」にゲスト参加されて、村川さんを「恩人」と話されています。
柴田恭兵の家族
柴田恭兵夫妻がカッコ良かったと記述
大手演劇会社がその年の秋に向けて、ロンドンで好評を博しているミュージカルを、日本で初めて上演しようと、役者、タッフを芝居の舞台であるロンドン、リバプールに派遣しての同行取材に神津伸子さん、同行した役者は柴田恭兵、三田村邦彦、喜屋武マリー。
柴田恭兵の奥さんの写真はありませんが、ライターの神津伸子さんによれば、特に柴田夫妻の中の良さに大関心したという。元モデルだけあってスタイルのいい気さくの良い方だと述べています。
柴田さんの写真を見ると結婚したばかりの時と思います。移動中のバスの中でも柴田夫妻はずっと手をつなぎぱっなしだったそうです。
柴田さんは、1983年に32歳の時に元モデルの加奈子さんという方と結婚されています。
お二人は知人の紹介で知り会われたそうですが、奥さんは再婚で連れ子がいたそうです。(柴田さんは初婚)
柴田さんのプライベートはほとんど明かされていないため、いつ頃から交際され、どのような経路で結婚に至ったのかは不明でわかりません。
柴田さんが、愛媛県にある奥さんの実家を訪れてる姿や、近所の人にサインする姿は、何度も目撃されているようです。
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子供は
柴田さんは奥さんの連れ子が一人いて、奥さんとの間に息子さんと娘さんが一人ずのようです。
長男は奥さんの連れ子の知大さん、次男は鮎さん1984年生まれ)長女(1987年生まれ)名前は公表されていません。
次男の鮎さんが20歳で他界
次男の鮎さんは2004年、20歳という若さで心臓発作で亡くなられています。
鮎さんは、九州芸術工科大学に在学中は、一人暮らしをされていたそうで、鮎さんの友人が連絡を取れないことを不審に思い鮎さんのマンションを訪ねると、すでに死亡している鮎さんを発見したそうです。
鮎さんは、もともと、喘息の持病があったことから喘息が原因で心臓発作を起こしたのではないかと言われています。
柴田さんは、鮎さんの突然の死に、かなり辛い日々を過ごしたのと思います。
鮎さんの突然の死から、3カ月後に「まだまだあぶない刑事」に出演されたことは柴田さんの心の支えになったと思います。
柴田さん、自身も2006年7月、初期の「肺がん」であることが判明し、右肺の上葉部を摘出する手術を受けています。
(柴田さんはもともと、相当なヘビースモーカーだったそうです。「肺がんを患ってからは完全に禁煙。食事やアルコールに関しては特に制限されていないそうです。)
幸いに、手術は無事に成功し、良く8月中旬に退院されて、
以前より健康ですし、アクションもどきますし、大好き草野球も年明けには再開したい
と回復をアピールしています。
3カ月後の12月にはドラマ「ハゲタカ」の撮影で復帰しています。
その後は、「肺がん」の再発もなく仕事を順調にこなされています。
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まとめ
柴田恭兵さんの本名柴田恭兵で芸名も同じです。
柴田恭兵さんの韓国人説はデマです。若い時の柴田さんは韓国のユン・ピヨウさんとそっくりで同世代で、二人ともアクションでもキレのある所も似ている俳優さんです。
大学出てから一般企業に就職して、2年過ぎのころ地元の同僚が「東京キッドブラザーズ」のスタッフをしていた関係で見学行ったきっかけで劇団に入団しています。
「東京キッドブラザーズ」で活躍していた時に、村川透監督の目に留まりスカウトされます。
それがきっかけで、「大都会PERATII」「大追跡」「赤い嵐」に出演。さらに「あぶない刑事」で爆発的人気を博しています。
私生活では、次男の鮎さんが、20歳で他界され、自身も肺がんの手術をされて苦労されたそうです。
現在は回復されて「帰ってきたあぶない刑事」で出演されて仕事も順調にこなされています。
これからも活躍する姿を見せていただきたいと思います。
最後までご覧くださりありがとうございます。
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