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石破茂若い頃の画像年表
石橋茂は過去に4度総裁選に臨んだけれど敗れています。過去に亡くなられた安倍晋三というライバルがいましたが、前回、安倍晋三さんが突然の辞任での総裁選の時で、その立候補した時に、菅義偉さんに惨敗の結果に終わっています。
安倍晋三さんの突然の辞任後の総裁選
この時は、党員票が見送られ、各都道府県の代表による地方票は、菅義偉さんの半数にも届かなかったことです。
さらに国会議員票では10%にも及ばず、総得票でも3位に沈んでいます。
この結果を踏まえて、自身の派閥「水月会」の会長を辞任しています。
次期の総裁選は「吉」となるか「凶」になるかはわかりません。
そこで今回、石破茂さんの若い頃を振りかえってその魅力を探ってみたいと思います。
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石破茂の生い立ち
石破茂の出生地は東京都千代田区
父親、石破二郎の長男として東京都千代田区で誕生しています。石破二郎さんは茂さんが出世の時48歳であり、二郎さんの秘書の高岩迪資によれば、自身の高齢の恥ずかしから二郎は病院へ行きたがらず、高岩が代理で病院へ出かけて行ったそうです。
そのため病院側は、高岩が茂の父親と間違えたことあったとか。
父・石破二郎(いしばじろう)
- 生年月日:1908年7月29日ー1981年9月16日(73歳没)
- 出身地:鳥取県は八頭郡大御門村大字殿
- 高校:高知高等学校文科甲類卒業
- 大学:東京帝国大学法学部法律学科英文科卒業
(現・東京大学) - 卒業後は、内務省・警視庁、建設官僚を務める
大学卒業後は官僚として役職を務めていましたが、茂が誕生の1年後の1958年に鳥取県知事に就任した為、鳥取県へ転居しています。そのため、茂さんには幼少期の東京での記憶がないそうです。
- 鳥取県知事
- 参議院議員
- 自治大臣
- 国家公安委員長
- 勲章:叙正三位勲一等 授瑞宝章
人柄
- 清貧と努力の人
- 儒教精神を尚ぶ
- 故郷を忘れず義と理に厚い
田中角栄元首相とは盟友
石破二郎が、1955年(昭和30年)自由党時代の田中から、東京知事選挙に出馬するように請われましたが、「東京知事はならない、鳥取県知知事に請われればなる意思がある」と答えたという。
田中は「何故日本一番小さい鳥取県の知事を望むのか」と尋ねると「私は鳥取県人である、鳥取に生まれ育ち、そして死ぬのである」小さくともわが県は鳥取県人であると明確に答えたという。
田中は「君が郷土を思う至情に打たれた」と述べています。
石破二郎さんは田中派に入ったのは、田中の人柄に惚れたから
ある時、安田貞栄境港市長が(3代)が石破に「あなたは元気である限り鳥取県政を担当願うことが県民の為であると思う。それほどあなたを高くかっているが東京では自民党(田中派)に属しておることが釈然としませんね」といった時「君は田中という人を知んからだ。実は自分が初めて鳥取県知事に立候補して現職知事(遠藤茂)との一騎打ちの厳しい選挙を戦い当落のきまる夜娘2人が東京の家でラジオの報道をはらはらした気持ちで聞いておる時に田中さんが心配だろうと娘たちと一緒に炬燵にあたって一喜一憂してくれたのだ。当選が決まったら「これでお二人おも安心だね」と言って帰ったそうだ。これに心を打たれるではないか。付け焼き刃でできることではない」と述べています。
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石破二郎が田中角栄に最後の頼み
石破二郎さんが亡くなられる一週間前に、見舞いに来た時に田中に「1つ、願いがを聞いてほしい。いよいよの時はあんたに葬儀委員長をやってもらいたい。最後の頼みだ」と。
田中はうなずいた、結局は鳥取知知事4期15年の実績からいって県民葬となったそうです。その時は鳥取県知知事に行って葬儀委員長はが君がやってくれと頼んで、田中角栄は友人代表として弔辞を述べられれるにとどまっています。
ワシが葬儀委員長だ
しかし、石破茂が葬儀の報告とお礼に田中を訪れると、「おい、あの葬式は何人来たんだ」と聞かれるので、「確か3500人だった」と答えると、すぐに早坂茂三さんを呼んで「4000人集めろ!青山斎場予約しろ」と言い出して、「お前の親父と約束したのだから、俺が葬儀委員長をやるぞ」
田中は葬儀委員長として泣きながら弔辞を読んだ。
「石破君、君との約束をワシはいま、今日こうしてはたしている・・・」
田中角栄は改めて、東京青山葬儀場で「田中派葬」で葬儀委員長をして立派に約束を果たされたのです。
まさにこれが田中角栄の真骨頂だと思います。
母・石破和子(いしばかずこ)
- 生年月日:1918年8月
- 祖父:徳島県、山型県知事・金森太郎
- 曽祖父:宗教家・金森通倫
石破茂さんの母方の曽祖父は宗教家の金森通倫さんです。
金森通倫はNHK大河ドラマ「八重の桜」にも描かれている人物
金森通倫(かなもりみちとも、「つうりん」)
- 別名ポールカナモリ
- 生年月日:1857年10月2日-1945年3月3日(87歳没)
- 出身地:肥後の国玉名郡(現:熊本県玉名市)
- 同志社英学校卒・宗教家
キリスト精神を日本に広める「熊本バンド」の一員として、布教活動を行っていました。晩年には湘南の嶺山に隠居して原始的な洞窟生活をして「今仙人」と呼ばれていたとか。
和子さんは、曽祖父から続くキリスト教信者だったため、石破茂さんも18歳の時にプロテスタント系で日本最大の日本基督協会に属する鳥取教会で洗礼を受けています。
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石破茂の学生時代
石破茂の幼少期~大学時代
石破茂さんは1957年東京に生まれましたが、その翌年には父、二郎さんが鳥取県知知事に就任したので鳥取県に転居しています。
石破茂さんは母・和子さんの影響で教会付属の幼稚園に通っています。和子さんは国語教師だったということもあって教育熱心で、小学校の頃は毎晩1時間偉人伝の朗読をさせていたそうです。
その後
- 小学校:鳥取大学付属小学校
- 中学:鳥取大学教育学部付属中学校
- 高校:慶応義塾高等学校
- 大学:慶応義塾大学法学部法律学科を卒業。
慶応大学はへは内部進学ですすんでいます。
高校生時代は国語が得意で、理系が苦手だったようです。
大学は法学部に
そのため石破さんは「数字を見ると頭がいたくなる人間が経済学部に行ってなにをするんだ?」ということで法学部に進学しています。
石破茂さんはカレーが大好物で、大学時代の4年間はカレーを食べ続けたそうです。
弁護士を目指す
- 弁護士を目指すために法律研究サークル「法律会」に所属
- 慶応義塾大学2年生に時に全日本学生法律討論会で1位を獲得
弁護士を目指して司法試験を受けようとしましたが、最終的にはサラリーマンなって就職しています。
石破茂はキャンディーズファン
石破茂さんの強面からは想像できないキャンディーズファンです。
石破茂さんは、高校生時代からキャンディーズファンで、特に藤村美樹さんが好きだったようです。
ファンクラブにも入会しており、バスツアーにも参加されています。
石橋茂さんはキャンディーズのシングル全17曲すべて歌えるとのべています。
シングル17曲を全曲歌えます。カラオケではキャンディーズメドレーを選びます。大抵の人は1,2曲歌えない曲があったりするものだけど、私は通し歌えます。私の周りで全曲を歌えるのは自民党の山本一太参議院議員と中谷元・元防衛相くらいです。
キャンディーズのメンバーの田中好子さんが2011年4月21日(55歳)に死去した際には「本当に同世代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達をなくしたような思いだ」とコメントしていたようです。
また、南沙織さんのファンとしても有名です。
石破茂さんも誰もが憧れるアイドルに夢中になって青春時代を送っていたとは親近感を覚えます。
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石破茂のサラリーマン時代
石破茂がなぜ三井銀行に就職した理由は
石破茂さんは、最初は国鉄と全日空に入りたかったようです。
茂さんは「国鉄に入りたいです。朝から晩まで電車や汽車と一緒にいるだけで幸せです」と言うと、当時父の二郎さんは運輸委員会の国鉄問題の小委員会の委員をしていて
「あれはな、そのうち潰れれることになっておる、潰れる会社には行かないほうがいいと思う」と言われて、飛行機も好きなので、「全日空へは」と答えると
「お前な、田中先生にご迷惑かけた会社に入るというのか?ダメに決まってるだろう」
田中先生とは田中角栄元首相のことです。
1979年、石破茂さんは大学卒業後、三井銀行に入行されます。その3年後の1981年に衆議院議員だった父が死去されます。
父の盟友、田中角栄
父・二郎の盟友だった、田中角栄が父との約束で葬儀委員長を果たしてくれた御礼の挨拶に行くと、角栄は「鳥取の葬式に来てくれた2500人全員に名詞持参で会葬御礼に回れ。それが選挙の基本だ」だと仰る。
茂は当時24歳の銀行員で、国会議員になる器でもないし参院選に出る被選挙権もありません。そう申し上げると、机をバーンと叩き「誰が参議院に出ろっと言った。君は衆議院に出るんだ。いいかよく聞け政治家ほど面白い仕事はないぞ。日本で起こる全てのことはこの目白で決めるんだ」と仰った。
田中角栄が「おまえが(おやじの後に出ろ」と薦められ、政界入りを決断。
1983年、三井銀行を退職し、田中角栄が領袖の木曜クラブ事務局に勤務する。
妻・佳子(よしこ)
- 石破佳子(いしばよしこ)
- 生年月日:1957年(67歳)
- 出身地:東京都
- 高校:女子学院卒
- 大学:慶應義塾大学法学部
- 父:中村昭(元、昭和電工取締役)
- 丸紅に就職
- 1983年:石破茂と結婚、2女誕生
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妻・佳子さんとの出会いと結婚
慶應大学の同級生で大学1年生の時に、図書館で見かけ、一目惚れ。
石破さんは、佳子さんのことを「こんなきれいな女性が世の中にいたのか」と一目惚れしたそうです。
その後石破さんが主宰する勉強サークル「石破のヤマかけ講座」に佳子さんが参加されたそうです。
佳子さんによると、石破さんは当時流行っていた「アイビールック」ファッションなどを着ないで、シャツにネクタイ、ジャケットと真面目そうだったようです。
石破茂が大学を卒業して三井銀行に就職するときに、「結婚を前提としてこれからもお付き合いしていただけませんか」と告白するが断られています。
理由は「弁護士になりたいから法律学科に入ったのに、私と結婚したいから安定した仕事がいいと言って三井銀行にしたんですよねと。そういう風に人生の目標がコロコロ変わる人は嫌いです」と言われたそうです。
佳子さんのに考え方がすごいです。佳子さんが政治家に向いているような感じがします。
この時は、見事に振られましたが、当時、茂さんは三井銀行に就職して仕事をしていましたが、石破さんのお父さんの訃報を知った時に友人と香典を送ったのがきっかけで連絡とるようになり、また職場が日本橋と竹橋と近かったことから、会社近くで一緒にランチを食べたり、デートをするようになったといいます。
石破茂が突然の政界入り
そして、前述したように突然の政界入り、この時に、茂さんから、「このような事態になったけど、突然のことだし、結婚の話はやめたければやめてもいいよ」と言われて、政治のことはまるで分らなかったので、本当に悩みました。」と後に告白しています。
結婚をすべきか、やめるべきか。悩む佳子さんに父親がこうアドバイスしたという。
「君は結婚相手を『職業』で選ぶのか『人物』で選ぶか」
その一言で佳子さんお気持ちは決まったそうです。
結婚式の田中角栄のスピーチエピソード
1983年9月東京・赤坂ホテルニューオータニでの父親代わりに出席した田中角栄(ロッキード事件裁判中)は結婚式でスピーチしたのです。
「石破君のお父さんとは親しくしていたから、茂君にはいずれいい所のお嬢さんと引き合わせたいと思っていた。
そしたら、もう意中の女性がいるというじゃないか!?
相手は誰だ?と聞いてら、丸紅の女性だ、となにツ!丸紅女?
しかし、丸紅はいい会社だ。わたしのことがなければ、もっといい会社だ」
それで新潟県出身だと聞いて、「即座に結婚なさい」言った。
会場はドット爆笑の嵐に。
石破茂は尊敬する人に、田中角栄、渡辺美智雄、父の石破二郎の3人を挙げています。
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石破茂・佳子さん夫妻には娘2人。
- 女子学院高校
- 早稲田大学政治経済学部(一浪してAO入試)
- 東京電力に就職
2011年に東日本大震災がった当時の週刊誌に石破茂さんの娘さんの記事がのっています。
この記事によりますと、
背が高くて、目元がキツイ感じがしますが、なかなかの美人です。とても明るい性格で、二年生の秋頃まで広告研究会に所属していました。確かお父さんが大臣になったころからこなくなった。父親のことに触れられたくなかったみたいです。(別の同級生)
当時の菅直人総理が東電に怒鳴りこんだことに対して、「石破議員が批判した」といことで恰好のネタにされたようです。
- 豊島岡学園高校
- 東京理科大学卒
- エーザイ(薬剤師として勤務)
次女はエーザイ(株)に努めていると言われています。詳しい情報はありません。
しかしながら、2020年に5月12日配信で「婦人公論.JP」のインタビュー記事で二人の娘について話されています。
2020年は都内の3LDKで娘2人と同居していると語っています。2024年現在も一緒に暮らしているか、また娘さんたちは結婚されているかは、わかりません。
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プロフイール
- 石破茂のプロフィール
- 生年月日:1957年2月4日
- 出生地:東京都千代田区
- 出身地:鳥取県八頭町
- 出身校:慶應義塾大学法学部法律学科卒業
- 前職:三井銀行(現:三井住友銀行)
- 血液型:B型
- 星座:みずがめ座
- 配偶者:石破佳子(1983年から)
- 現職:日本の衆議院議員1986年から
- 両親:石破二郎、石破和子
- 子供:娘2人
石破茂さんは東京千代田区で生まれています。父親の二郎さん48歳の子供であり、高齢の恥ずかしさから、病院には秘書の高岩通資さんがいったため、病院側は高岩さんが父親と間違われたことがあったという。
1958年に父の石破二郎さんが鳥取県知知事就任した為に鳥取県に転居。中学校までは鳥取県八頭郡八頭町で育っています。そのため茂さんには東京での記憶がないそうです。
政界入りを決断・衆議院議員初当選
1983年に三井銀行を退職され、田中角栄の木曜クラブ事務局に勤務しています。
第38回衆議院議員総選挙に自民党公認で鳥取県全県区(定数4)から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選
当時29歳で、全国最少年の国会議員であったそうです。
その後、石破茂さんは11期連続当選されています。
妻の佳子さんが、夫の石破茂さんが、忙しくて地元に帰れないので、自ら選挙カーの候補者席に乗って、帰れない夫を支えてきたのです。11回連続当選されたのも奥様の努力の賜物思います。
地元では選挙の強いのは妻の佳子さんのお陰という声も、また奥様のファンが多いといいます。
佳子さんは、夫の石破茂さんについて
「政治に対する姿勢が本当にまじめで嘘をつかない。だから、後援会の方たちもついてきてくださいますし、私も頑張れる。もし夫が曲がったことをするような人だったら、私は“じゃあ、好きにすれば”と言ってしまうと思います。政治家の妻という立場でありますが、同志的な気持ちで一緒に頑張れるというところはありますね。
でも、まだまだ志半ばなので、80点にしておきます」。
と仰っています。
石破茂さんが総理になって、佳子さんのファーストレディー姿を見られることを願っています。
経歴
- 地方創成担当大臣
- 幹事長(2回)
- 党政務調査会長
- 農林水産大臣
- 防衛大臣
- 国務大臣防衛庁長官
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まとめ
石破茂さんは、父親から、政治家にならないかといわれましたが、とても父親のようにはなれないと、きっぱり断っていました。
そして、銀行員になり務めていましたが、父親がガンでなくなり、父の盟友である田中角栄氏に「お前が(親父)の後を継げ」といわれ、政治の道に入ったのです。
1986年第38回衆議院議員選挙で29歳という若さで初当選。それから、35年議員生活を続けています。その間に、数々の役職ををされ、総裁選挙に4度出られましたが惨敗しています。
”ブレない、群れない”「鷲鳥不群」を座右の銘と言われていますが、今回は群れも必要になってくると思います。
その意味で今回は最後の総裁選になると思いますので全身全霊で頑張ってほしいと思います。
最後までご覧くださりありがとうございます。
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