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浅野ゆう子の若い頃はグラビア雑誌を席巻!抜群のプロポーション伝説のエピソード11選
浅野ゆう子さんは1980~1990年ぐらいまで「トレンディドラマ女王」として君臨しいた姿はまさに時代を風靡したものでした。
男性たちは浅野さんのプロポーションには本能されたと思います。
14歳でアイドルで歌手デビューしましたが、浅野ゆう子さんは背が高くスタイルがいいのに歌手として人気がでませんでした。
(当時は背の低いポチャリ系のかわいい子が人気でした)
そして転機は、19歳の時にカネボウ化粧品のテレビCM「一気にこの夏チャンピオン」で極小ビキニでの水着で一躍注目を集めます。
紆余曲折のなか「トレンディドラマ」で人気になり女優としての不動の地位を築いています。
いまは、一般男性と結婚なされ、私生活でも充実した毎日を送っています。
そんな浅野ゆう子さんの若い頃の伝説のエピソード11選で振り返って紹介します。
1.裕子の(裕)の字は、石原裕次郎の(裕)から取った
2.裕子が3歳の時両親が離婚!親戚の家を母と転々
3.小学生4年の時に既にナンパされていた
4.12歳の時にオーデションに入賞してスカウトされる。芸名は浅野ゆう子に
5.13歳でアイドル歌手としてデビュー
6.中学生で、テレビドラマ「太陽にほえろ」に出演
7.カネボウ化粧品のCM「一気にこの夏チャンピオン」で抜群のプロポーションで人気に
8.1988年テレビドラマ「君の瞳をタイホする」ヒロイン、「抱きしめたい!」で「W浅野」でブレイク
9.浅野ゆう子の友好関係
10.恋人・田宮五郎クモ膜下出血で死去
11.2017年に年末に一般男性と結婚
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伝説のエピソード①裕子の(裕)の字は、石原裕次郎の(裕)から取った
赤沢裕子の(裕)字は石原裕次郎の(裕)
浅野ゆう子の本名は「赤沢裕子」といいます。裕子の(裕)は母:住枝(すみえ)さんが石原裕次郎のフアンだった母によって名付けられています。
2023年10月15日、浅野ゆう子さんのお母さんが91歳の誕生日を迎えたことを、インスタグラムに投稿しています。
元気に91歳を迎えられたことは大変喜ばしいと思います。お母さんの喜んでいる姿が印象的です。
親は、娘が元気でいてくれることが、何より一番の親孝行です。
二人にとって至福の時間を過ごした事と思います。
お母さんは大の石原裕次郎ファンだったんですね。
母親の住枝さんの方が裕次郎より二つ年上だけで、同じ時代の空気を吸って、憧れを抱いていたと推測します。
その、憧れの裕次郎と娘のゆう子が共演するとはその時は夢にも思わなかったに違いありません。
共演した時は物凄く喜んだと思いこんなことがあるんだと感無量だと察します。
母はとても喜んでいたとのべています。撮影現場では、まだほんの子どもでしたから皆さんにかわいがっていただきましたと記述しています。
浅野ゆう子さんの共演のきっかけで、石原裕次郎が、母(住枝)さんが経営するバーランジ(昇)に訪れて、会っています。これ以上の親孝行はないと思います。
念願だった石原裕次郎に会えて、住枝さんは昔の苦労が全部吹き飛んだと考察します。
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浅野ゆう子さんの伝説エピソード②裕子が3歳の時両親が離婚!親戚の家を母と転々
裕子さんが3歳の時、両親が離婚!親戚に家を転々
本当は自分の子供が生まれれば嬉しいはずですが、ゆう子さんのお父さんの行動は信じられない事だと思います。
そして、両親は裕子さんが3歳の時に離婚されて住江さんは親戚の家を転々とされ大変苦労されたようです。
ネットで検索すると出てきている情報では一律で、浅野ゆう子さんの父親は、政治家の石井一と言うのですが、本当でしょうか。
浅野ゆう子は父親・石井一?
政治家石井一の経歴
- 生年月日:1934年8月17日
- 出身地:兵庫県兵庫市
- 没年月日:2022年6月4日(87歳没)
- 出身校:1957年甲南大学経済学部卒業。
- 同年 米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)大学院政治学部に入学。
- 1958年9月スタンフォード大学大学院政治学部入学
- 1960年12月 スタンフォード大学において、政治学の修士号を得て帰国
- 前職:日本生産性本部職員
ご覧の通り石井一氏は1957年~1960年までアメリカに行っています。
1967年・石井氏は32歳時に第1回衆議院選挙の時は落選しています。その後、田中角栄の私設秘書を務めています。
石井一氏は田中角栄の秘書となり、政治のイロハを学ばれていたと思います。そして田中の事を政治の親父と慕っています。
田中は自分が愛した女性は最後まで面倒をみる人です。田中の人間性をそばで見ていた石井氏が女性を泣かせる行動はしないと思います。
1969年・第32回衆議院議員選挙で初当選しています。
- 衆議院議員:11期
- 参議院議員:1期
- 運輸政務次官
- 国土庁長官
- 時事大臣・国家公安委員長
- 参議院予算院長
- 民主党国会対策委員長
この他にも色々な政策になさっています。
浅野ゆう子さんの3歳の時に離婚した父親と言われて出てくるのが、この石井一氏です。
なんで出てくるのが分かりませんが、出身地がかさなり年も近いからだかと思います。
事実、石井一氏は大学同級生の知子さんと1960年に結婚されています。
(知子さんは、著書、1999年に「職業代議士の妻」と2002年「政治家の器量は妻しだい」と言う2冊の本を出しています。
以上見てきた通り石井一氏との接点がないことがわかります。石井氏が政界のデビューしたのが1969年の当選からです。その時、浅野ゆう子さんは9歳になっています。
石井一氏が浅野ゆう子さんの父親と言う説はデマと言えるでしょう。
まとめ
- 浅野ゆう子さんが1960年生まれですから、1957年に頃には石井一さんと(住枝)さんと付き合あっていたことになります。(それは事実、不可能の事です)
- 1960年には石井さんはアメリカにいっている、まして、同年知子さんと結婚しています。
- 以上、みてきた通り石井さんと(住枝)さんの接点がないと判断するのが妥当だと思います。
浅野ゆう子さんのお母さん(住枝)さんが、話さない限り真相はわかりません。どちらにしても、浅野ゆう子さんが女優で成功されている現在どうでもいいと考えます。お母さんも元気で、暮らせることが、一番いいと思います。
住枝さんは、浅野ゆう子さんを、芸能人にそだてるため、足が綺麗になるため正座を禁止され、礼儀作法の厳格にされてきたと言われています、それが見事に実ったことはおかあさんの思いが天に通じたからだと思いました。
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