【画像50枚】若い頃のデヴィ夫人は美しいだけじゃない!内に秘めた野望を全盛期で振り返って見たいと思います

デヴィ夫人 エンタメ

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若い頃のデヴィ夫人画像年表

デヴィ夫人の若い頃画像①1965年(25歳)

デヴィ夫人の若い頃画像①1965年(25歳)

デヴィ夫人の若い頃は飛びぬけて美しです。

デヴィ夫人と言えば、忖度のない辛口論表とイメージがありますが、その半生はご覧のとうり若い頃は美しい姿からは想像もつかない波乱万丈の人生です

中学生時代からいろいろな勉強しながら努力を重ね、19歳でインドネシアスカルノ大統領と知り合いから22歳で1962年にスカルノ大統領と根本七保子は正式に結婚して、インドネシア大統領第3夫人となって日本国籍から離れ、インドネシア国籍を取得しています。

本名:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ 「宝石の聖なるの女神」という意味でスカルノ大統領が命名されたといいます。

デヴィ夫人の若い頃画像②1962年(22歳)スカルノ大統領と

デヴィ夫人の若い頃画像②1962年(22歳)スカルノ大統領と

時にスカルノ大統領61歳、根本七保子22歳、実に39歳差の結婚でした。
日本女性で外国の元首と結婚されたのは後にも先にも令和の現在でもデヴィ夫人ただ一人です。

そこで今回若い頃のデヴィ夫人が22歳の若さでインドネシア大統領の夫人になれたのかを10代から30台中心を画像で振り返って見たいと思います。

デヴィ夫人の若い頃年表⑦1952年(13歳)~1958年(18歳)

デヴィ夫人の若い頃年表⑦1952年(13歳)~1958年(18歳)

デヴィ夫人の若い頃年表⑫1962年(22歳)~1979年(39歳)

デヴィ夫人の若い頃年表⑫1962年(22歳)~1979年(39歳)

デヴィ夫人の生い立ち
東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)父・兵七郎と
母・政子の間に生まれる。
旧名は根本七保子・は弟八曾男で太平洋戦争中は、父をのこして、母・弟の3人で福島県浪江疎開しています。
父は麻布区霞町界隈の大工棟梁であり、家庭は裕福ではなかったと言います。
デヴィ夫人

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