スポンサーリンク
30秒でわかる馴れ初めの要点
岩下志麻と篠田正浩監督の馴れ初めは、1964年公開映画『暗殺』の打ち上げパーティーがきっかけでした。
会場は当時、芸能人が集う赤坂の有名クラブ「ニューラテンクォーター」。
その場で二人はマンボを踊り、岩下志麻が友人に「私、監督さんと結婚しそう」と冗談めかして語ったエピソードが残っています。
そこから交際に発展し、ヨーロッパ土産のバッグを通じて距離を縮め、周囲の反対を乗り越えながら愛を育ています。
そして1967年3月3日、京都・大徳寺 高桐院で茶婚式を挙げ、正式に夫婦となります。

岩下志麻、篠田正浩の茶婚式1967年3月3日、京都大徳寺高桐院
出会い(1964)→交際(1965前後)→結婚(1967/3/3)
この3年間が、映画と人生が交差した二人の物語の始まりです。
スポンサーリンク
出会いまでの背景
岩下志麻が篠田正浩監督と初めて顔を合わせたのは、彼女が19歳ごろに出会っています。
岩下さんが大学で俳優を志し、19歳のときに篠田監督から映画の主役のオファーを受けたことでした。この神楽坂での面接では、脚本の寺山修司も同席しており、二人の関係が始まったのはこの時です。

岩下志麻の画像1960年(19歳)
後年のインタビューでも「まだ十代の頃に監督と出会った」と振り返っています。
当時の岩下は松竹の看板若手女優として注目を集め、篠田監督は新鋭の映画作家として脚光を浴び始めていました。
二人は自然に、映画の仕事を通じて交流を深めていく関係になります。
決定的な出会いの舞台となったのが、1964年公開の映画『暗殺』。
幕末の志士・田中新兵衛をめぐる人間模様を描いたこの作品は、篠田監督の代表作のひとつであり、時代劇に新しいリアリズムを持ち込んだ意欲作でした。
岩下志麻はヒロインの一人として重要な役を担い、若さと気品を兼ね備えた演技で存在感を放っています。
当時の配役メモをたどると、主演は丹波哲郎、共演には佐田啓二・中村賀津雄ら豪華キャストが名を連ね、その中で篠田組に初めて参加した岩下志麻が、現場で監督の眼に強い印象を残したことは間違いありません。
映画の現場をともにするうちに、二人の距離は確実に近づいていったのです。
スポンサーリンク
『暗殺』打ち上げの「マンボ」とは
映画『暗殺』(1964)の撮影が終わったあと、スタッフやキャストが集まった打ち上げの会場は、当時「東洋一のナイトクラブ」と呼ばれた赤坂のニューラテンクォーター。

ナイトクラブ/ラテンクォーター
豪華なシャンデリアとラテン音楽が鳴り響くその場所は、芸能人や文化人の社交場として知られていました。
その夜、篠田正浩監督と岩下志麻は、自然な流れでマンボを一緒に踊ることに。
すると岩下は友人に向かって、思わずこう口にしたと伝えられています。
「私、監督さんと結婚しそうな気がします」
この言葉は冗談とも本心ともつかない「直感の瞬間」でしたが、のちに現実となる未来を暗示していました。
篠田監督は当初、岩下を「清純派女優」として遠くから眺めていたといいます。
しかし打ち上げでの彼女は、スクリーン上の気品あるイメージとは違い、快活で人懐っこい一面を見せ、監督の心に強い印象を残しました。
後日、篠田自身も「第一印象のギャップに驚いた」と回想しています。
こうして、華やかな夜のクラブで交わされたステップが、二人の長い人生を結びつける最初のリズムとなったのです。
スポンサーリンク
交際開始までパリのハンドバッグと距離の縮まり方
打ち上げのマンボで生まれた親近感は、すぐに恋へと発展したわけではありません。
二人の距離が本格的に縮まったのは、篠田監督がヨーロッパ旅行から帰国したときのことでした。
お土産として岩下志麻に手渡したのは、パリで選んだハンドバッグ。
華やかな映画界に身を置く若い女優にとって、それは単なる贈り物以上の特別なサインとなっています。
このエピソードをきっかけに、二人はプライベートでも会うようになり、自然と交際が始まっていきます。

篠田正浩と岩下志麻の画像(27歳頃)
さらに岩下志麻にとって決定的だったのは、篠田監督が「女優をやめろ」と一度も言わなかったこと。
結婚すれば女性がキャリアを断つのが当然視された時代にあって、この姿勢は極めて異例でした。
岩下本人も後年「仕事を理解し、尊重してくれたことが結婚を決意した理由」と語っています。
華やかな贈り物と、さりげない理解。
この二つが、二人の交際を大きく前に進める決定打となったのです。
スポンサーリンク
障壁と決断——当時の映画界の常識を越えて
1960年代の映画界には、根強い常識があったと言います。
女優にとって「結婚=女優生命の終わり」という空気が支配していたのです。
とりわけ松竹の看板女優であった岩下志麻にとって、結婚はスタジオにとって大きな損失と映り、周囲からの反対や圧力も決して少なくなかったと言います。
当時、岩下さんは忙しい時期で、先々の作品を何本も抱えている状態だったので松竹の重役さんが毎日うちへ訪ねてきて、
「なぜ一人の男の所有物になるのだ」と翻意を迫るのです。
株主さんまで説得に来て、母親も驚いていたと言います。
しかし二人は、その古い常識を超える選択をします。
篠田正浩監督は「女優をやめなくていい」と明言し、岩下もまた仕事を続ける強い意思を示しています。
結果として、二人は「女優としてのキャリアを尊重しながら、夫婦としても歩む」という新しい道を切り開くことになります。
これは単なる恋愛や結婚の話ではなく、映画界の規範そのものを揺るがす決断でした。
実際に結婚後の岩下は、
「心中天綱島」1969年(28歳)

岩下志麻(映画心中天網島)1969年
「はなれ瞽女おりん」 1977年(36歳)

岩下志麻、映画(はなれ瞽女おりん)1977年
「極道の妻たち」 1986年(45歳)

岩下志麻画像1986年(45歳)
などを次々と世に送り出し、監督と女優という立場を越えて「創作上の協働者」として歩みを続けていきます。
二人が選んだのは、愛だけでなく、人生と仕事を共に支えるパートナーシップだったのです。
スポンサーリンク
結婚:1967年3月3日/京都・大徳寺 高桐院の茶婚式
二人が正式に夫婦となったのは、1967年3月3日。
場所に選ばれたのは、京都・大徳寺の塔頭のひとつ、高桐院でした。

岩下志麻、篠田正浩の茶婚式1967年3月3日京都大徳寺高桐院
一般的な神前式やホテル挙式ではなく、あえて選んだのは「茶婚式」。
岩下志麻と篠田正浩が選んだ茶婚式とは
茶婚式(ちゃこんしき)とは、茶道の精神や作法を婚礼の儀に取り入れた、和の結婚式スタイルです。宗教の要素がなく人前式のように自由度が高い一方、神前式の一部を取り入れているため、和の格式が保たれます。新郎新婦が茶人から点てられた抹茶と茶菓子をいただく儀式が中心で、参列者全員で「一期一会」の精神を分かち合い、家族の絆を深めることを目的としています。
これは茶道の所作にのっとり、静謐な茶室空間で行われる婚礼儀式で、華やかさよりも「精神性」と「簡素美」を重んじる形式です。
岩下志麻の落ち着いた美意識と、篠田監督の芸術観が反映された選択とも言えます。
当日の参列者には、松竹の重鎮である城戸四郎社長をはじめ、映画関係者やごく親しい友人が顔をそろえました。

岩下志麻と篠田正浩の茶婚式1967年3月3日
大手映画会社に所属する看板女優の結婚という一大イベントでしたが、派手な披露宴ではなく、控えめで格調高い式を選んだところに、二人の姿勢が表れています。
式の後には記念写真も撮影され、和装に身を包んだ二人の姿は、当時の新聞や雑誌に掲載されています。
こうして1967年早春、二人は伝統の息づく京都で、生涯の伴侶としての第一歩を踏み出したのです。
スポンサーリンク
結婚後の創作と人生年表
-
1967年5月(結婚から約2か月後)
篠田正浩監督と岩下志麻は、松竹を離れ、独立プロダクション「表現社」を設立。大手映画会社の庇護を離れ、自ら作品を生み出す大勝負に出る。

岩下志麻、篠田正浩、表現社設立1967年
-
1969年『心中天網島』
表現社の代表作。岩下志麻が主演を務め、文楽の人形浄瑠璃を映画化した実験的作品として高い評価を得る。 -
1970年代前半
『はなれ瞽女おりん』などで芸術性と興行性を両立。岩下は篠田組の看板女優として存在感を確立。 -
1980年代
夫婦の協働はさらに進化し、『それから』『写楽』など文芸映画の大作にも挑戦。岩下は『極道の妻たち』シリーズで国民的スターの地位を確立。 -
1990年代以降
篠田は国際的評価を高め、岩下も映画・テレビで幅広く活躍。

岩下志麻、篠田正浩夫妻2008年(67歳)
2008年年に行った表現社の50周年記念トークショーでは
映画監督としてラッキーだと思うのは岩下志麻と出会えたこと。その一言。
「映画という魔物にとりつかれて2人で魔物退治をやっていたようなもの」と語り、岩下も
「私も篠田と出会ったことで、いろいろな作品で、いろいろな役を演じるこ」とができました。
今の私があるのは篠田のおかげだと思っています。
とお互いをたたえていた。
夫婦は互いを尊重しながら、「人生=創作のパートナーシップ」を歩み続けたと言えます。
スポンサーリンク
よくある疑問(Q&A)
Q1. どこでマンボを踊った?
A. 赤坂にあった「ニューラテンクォーター」です。当時は“東洋一のナイトクラブ”と呼ばれ、映画人や芸能人が集う華やかな社交場です。
二人の運命を決めたダンスは、この舞台で生まれています。
Q2. 出会いは何歳のとき?
A. 岩下志麻が19歳ごろ。本人の回想によれば、十代後半で篠田監督と初めて出会っています。
Q3. いつ結婚?どこで?
A. 1967年3月3日、京都・大徳寺の高桐院で「茶婚式」を挙げました。静かな茶室で行う婚礼スタイルは、二人の美意識を象徴するものでした。
Q4. 交際のきっかけは?
A. 篠田監督がヨーロッパ旅行から帰国した際に贈ったパリ土産のハンドバッグがきっかけ。そこから二人の距離が縮まり、交際が始まります。
Q5. 周囲の反応は?
A. 当時の映画界では「結婚=女優生命の終わり」という考え方が強く、松竹スタジオ内でも反対の声があったといいます。

岩下志麻と篠田正浩の画像1968年(27歳)結婚1年後
しかし二人はそれを越えて、女優としての活動継続と夫婦生活を両立させています。
スポンサーリンク
まとめ

岩下志麻、篠田正浩の画像2003年(62歳)
株式会社表現社代表取締役
岩下志麻(1967年-)
「心中天綱島」
「はなれ瞽女おりん」
「鑓の権三」
「スパイ・ゾルゲ」
- 生年月日:1941年1月3日
- 出身地:東京都銀座
- 本名:篠田志麻
- 事務所:グランパパプロダクション
- デビュー:1958年にNHK連続ドラマ「バス通り裏」でテレビデビュー
1960年「笛吹川」で映画デビュー - 代表作:秋刀魚の味 (映画)/1962年
五瓣の椿 (映画)/1964年
心中天網島 (映画)/1969年
極道の妻たちシリーズ (映画)/1986年 - 配偶者: 篠田 正浩 (1967年 – 2025年)
- 両親: 野々村 潔、 山岸 美代子
- 2004年(平成16年)紫綬褒章受章
- 2012年(平成24年)旭日小綬章受章
岩下志麻と篠田正浩監督の馴れ初めは、
マンボの一夜(1964) → パリ土産をきっかけに交際 → 茶婚式での結婚(1967/3/3) → その2か月後の独立プロ「表現社」設立
という、まさに映画のような時系列で展開しています。
この一連の流れは、単なる恋愛物語ではなく、「映画と人生が交差した瞬間」そのものだっといえます。
スクリーンの中と同じく、現実の人生でも新しい物語を共に紡ぐことを選んだ二人の決断は、今なお語り継がれる特別なエピソードとなっています。
篠田正浩と岩下志麻の一人娘

岩下志麻の画像1973年(32歳)一人娘さん誕生
岩下志麻さんの娘さんは1973年6月生まれです。
画像で見てもわかる通り、生まれた娘さんを見守る志麻さんと篠田さんです。
娘さんの詳細はわかりませんが、慶応義塾大学を主席卒業されたと言いますから頭脳鮮明は明らかです。
そして、職歴は大手の広告代理店電通に勤められています。
現在は結婚されての2人の息子がいる母親です。
2人の息子さんに関して画像、学校生活など詳しい情報はありませんのでわかりません。
最後までご覧くださりありがとうございます。
コメント