【画像73枚】黒柳徹子の若い頃のケタ外れ伝説エピソード16選!若い頃は美貌とマルチ才能の可憐な美少女!

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黒柳徹子の若い頃のケタ外れ伝説エピソード16選

黒柳徹子の画像①1933年8月9日、2023年(90歳)

黒柳徹子の画像①1933年8月9日、2023年(90歳)

ウクライナ戦争で、子供たちはどうしているだろうと思って続編を書いたと言います。

黒柳徹子さんは日本で知らない人はいない位有名です。今年で御年90歳です。

黒柳徹子さんは日本でテレビ放送が開始した初日1953年2月1日からテレビに出ています。

そして日本史上最初のテレビ女優でもあります。

「徹子の部屋」では同一司会者によるトーク番組では最多放送世界記録保持者として記録更新中です。

著書「窓ぎわのトットちゃん」は世界35カ国で翻訳され、国内外の発行部数は2500万部を超えています。

昭和59年からユニセフ親善大使としてアジアから初めて任命されて活動しています。

何もかもけた外れの黒柳徹子さんです。

こんな人は二度と出てこないと思わせる凄い人です。

そこで、今回はけた外れ伝説のエピソード16選を紹介します。

  1. 本当は徹子(てつこ)ではなく「徹(とおる)」という名前になる予定だった
  2. 両親の経歴が凄い!
  3. 小学1年生なのに問題児すぎて退学させられていた
  4. 音楽学校を卒業後オペラ歌手を目指していたが挫折した
  5. 6000人の応募者の中から6次審査を勝ち上がり13人の劇団員の一人に選ばれていた
  6. 日本のテレビ初放送からテレビに出ていて1953年テレビ女優第1号としてデビューしていた
  7. NHKラジオドラマ史上初の大人女性で初めて子供役の声を演じた
  8. NHKがカラー放送を始めるとき顔の右半分を濃い紫いろに左半分白色に塗られ半日黙って座らされ撮影された
  9. NHK紅白歌合戦に25歳という当時最年少で司会に抜擢された
  10. 平均睡眠時間3時間で過労になり1カ月入院!すべての番組を登板していた!
  11. トーク番組「徹子の部屋」で同一司会によるトーク番組として最多世界記録を保持している!
  12. 著書「窓ぎわのトットちゃん」の販売部数が国内で800万部を記録!さらに更新中!
  13. フランス人ピアニスト恋人と遠距離恋愛40年間つづけていた
  14. 若い頃は年収が10億円超だった!
  15. 西麻布に豪邸購入!86歳の時に売却してタワーマンションに引っ越していた
  16. 若い頃から築き上げた交友関係がすごい!

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伝説エピソード①本当は徹子(てつこ)ではなく「徹(とおる)」という名前になる予定だった

黒柳徹子名前の由来は

ご両親や友達の人達が生まれてくる時にみんなが男の子に違いないと言っていたのを信

じこんで、お父(守綱)さんは徹(とおる)」という名前を考えていたといいます。

実際に生まれたのは女児だったけど、守綱さんは「徹(とおる)」という名前を捨てき

れずに、やむを得ず「子」を付けて「徹子」としたと言います。

よほど、お父さんは「徹(とおる)」と言う名前が好きだったんですね。

黒柳 守綱(くろやなぎ もりつな、1908年6月20日 - 1983年4月30日)は、日本のヴァイオリン奏者。(74歳没)妻は黒柳朝、

黒柳 守綱(くろやなぎ もりつな、1908年6月20日 – 1983年4月30日)は、日本のヴァイオリン奏者。(74歳没)妻は黒柳朝、

黒柳徹子さんのお父さんは博識家ですね。女の子だったけど、徹子さんの人生が名前の

通りに歩まれていることは本当にすごいです。守綱さんは本当に(徹子)と名ずけて良

かったと喜んでいると思います。

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伝説エピソード②両親の経歴と親族が凄い!

黒柳徹子さんのご両親

黒柳守綱ブァイオリン奏者1908年~1980年(74歳没)黒柳朝執筆家1910年~2006年(95歳没)

黒柳守綱ブァイオリン奏者1908年~1980年(74歳没)黒柳朝執筆家1910年~2006年(95歳没)

(父)黒柳守綱(旧姓:田口)ブァイオリン奏者(1908年~1980年)(74歳没)
東京音楽学校卒業
東京都出身

徹子さんのお父さんは音楽家で新交響楽団(NHK交響楽団の前身)のコンサートマスターを務めていた、バァイオリストの黒柳守綱です。

黒柳守綱は中国に出兵されて終戦後ソ連の捕虜としてシベリアに連行されて重労働させられていました。

黒柳守綱さんが、バァイオリストと分かると日本人収容所を回る慰問団を結成させられ

楽団員として日本軍捕虜収容所の巡回・慰問に当たっています。

シベリヤに捕虜として抑留されている方々にバァイオリスト演奏でいやされたことは沢

山の人が感謝したと思います。

黒柳守綱さんは本当に素晴らしいことをされたと思います。

音楽の力と言うものは凄いと思いました。ソ連軍も認めて捕虜の人に音楽で癒すように

させたのは、守綱さんのバァイオリができる功績が大きかったとだと考察します。

(母)黒柳朝(旧姓:門山)随筆家(1910年~2006年)(95歳没)
東京音楽学校声楽科卒業
北海道空知郡滝川町(現:滝川市)

黒柳徹子画像③とお母さん執筆家の黒柳朝さん

黒柳徹子画像③とお母さん執筆家の黒柳朝さん

母親はエッセイストの黒柳朝さんです。

音楽教師の勧めにより、1927年に上京し東洋音楽学校(現・東京音楽大学声楽科入学しています。

在学中にベートーヴェンの『第九交響曲』の演奏会を共にして知り合った新交響楽団

(NHK交響楽団の前身)の首席ヴァイオリン奏者・黒柳守綱結婚しています。

まだ結婚前の23歳か24歳頃で守綱さんは首席のバァイオリン奏者でいたとは本当に凄い方だと思います。

黒柳徹子の若い頃画像④幼少期と父、黒柳守綱1908年~1980年(74歳没)母、朝さん1910年~2006年(95歳没)

黒柳徹子の若い頃画像④幼少期と父、黒柳守綱1908年~1980年(74歳没)母、朝さん1910年~2006年(95歳没)

お父さんとお母さんは美男美女で当時有名だったようです。

黒柳朝さんは70歳を過ぎても執筆活発に活動し、自伝「チョッちゃんが行くわよ」

82年はベストセラーとなり、87年にNHK連続テレビ小説「チョッちゃん」としてドラマ化されています。

黒柳朝、黒柳徹子さんの母「チョちゃん」の作者1910年~2006年(95歳没)とチョちゃん役の古村比呂1965年生まれ

黒柳朝、黒柳徹子さんの母「チョちゃん」の作者1910年~2006年(95歳没)とチョちゃん役の古村比呂1965年生まれ

NHKドラマ「チョちゃん」役の古村比呂(21歳)さんを励ましに訪れた原作者の黒柳朝

(76歳)さんお二人とも北海道出身で息があったと言っています。

出身地である北海道滝川市の市花「コスモス」は、彼女の提言によって制定されたといいます。

お母さんの朝さんの本当に凄い方です。まだ、夫の守綱さんが元気だったころ、朝さんが執筆していたら、「そんなもの誰が読むんですか」と言っていたと娘の徹子さんが明かしています。

それにしても、ご両親は二人とも才能が溢れていたのだと思います。

70歳過ぎてからの活動ですから本当に凄いと思います。これから高齢者も朝さんを見習っていきたいですね。

私も朝さんを見習っていきたいです。実は私の母も97歳で元気ですから、母も尊敬しています。

黒柳徹子さんの親族も凄い

弟(長男)明児は(9歳)で亡くなっています。敗血症だそうです。

黒柳徹子の若い時の画像⑤弟、長男明児君と黒柳徹子、明児君は(9歳)で夭逝されました。

黒柳徹子の若い時の画像⑤弟、長男明児君と黒柳徹子、明児君は(9歳)で夭逝されました。

お姉さんの徹子さんと弟の明児君の中慎ましい姿が印象てきです。

明児君はわずか(9歳)という若さで夭逝されました。お悔やみ申し上げます。

ご両親はさぞかし悲しまれたと思います。

(弟)黒柳紀明:ブァイオリン奏者(1940年生まれ)
桐朋学園芸術短期大学中退

黒柳 紀明(くろやなぎ のりあき、1940年 - )は、日本のヴァイオリン奏者。ヴァイオリニストの小林武史に師事し、ヴィオラも演奏する。黒柳守綱、黒柳朝夫妻の次男(長男は夭折)で、姉妹に黒柳徹子、黒柳眞理らがいる。

黒柳 紀明(くろやなぎ のりあき、1940年 – )は、日本のヴァイオリン奏者。 ヴァイオリニストの小林武史に師事し、ヴィオラも演奏する。)

(妹)黒柳真理:元バレリーナ、エッセイスト、美容師(1944年生まれ)
6歳からクラッシックバレエを学び、ショイ・レニングラードのバレエ団と各地を公演。その後、足首の悪性ねんざの為バレエを断念。
(元夫)プロ野球選手井石礼司

黒柳 眞理(くろやなぎ まり、1944年4月19日 - )は、日本の元バレリーナ、エッセイスト、美容師。 黒柳守綱・朝夫妻の次女。黒柳徹子は実姉、紀明は実兄。北海道住在

黒柳 眞理(くろやなぎ まり、1944年4月19日 – )は、日本の元バレリーナ、エッセイスト、美容師。 北海道住在

弟(三男)貴之さんは徹子さんより24歳年下です。98年に覚せい剤で逮捕歴があったとのことです。その後はわかりません。

(叔父)田口修治:撮影技師、映画監督。映画プロデューサー(1905年~1956年51歳没)

田口 修治(たぐち しゅうじ、1905年 - 1956年3月)は、日本の撮影技師、映画監督、映画プロデューサーである。

田口 修治(たぐち しゅうじ、1905年 – 1956年3月)は、日本の撮影技師、映画監督、映画プロデューサーである。

(伯父)には松竹蒲田撮影所の初代所長の田口桜村氏もいます。

以上見てきた通り、家族親族の方々は芸術の方面で活躍されて優れている人多いと思いました。

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