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伝説エピソード⑨NHK紅白歌合戦に25歳という当時最年少で司会に抜擢されていた
NHK紅白歌合戦最年少25歳で抜擢される。
黒柳徹子さんは第9回NHK 紅白歌合戦は25歳最年少で司会をされています。
この時の紅白歌合戦は、今みたいにNHKホールがまだなかった時で、その時は大きい会場が手配できずに、この年だけ、新宿コマ劇場で行われていました。
当時はまだ、生放送の時なので、全てぶっつけ本番です。
今みたいに紅白歌合戦に皆さんが重きに置いていなかったため、歌手の皆さんは会場を
掛け持ちしていたため、それがすんでから、コマ劇場に掛けつけるので、時間が分からない状態だったといいます。
そんな状態で歌手の人が歌い終わって次に歌う歌手が一人もいない状態になった時は、
次の人が来るまでなんとかしなくてはいけないときは、「歌手を早く出せ」、などのヤジが飛んで泣きそうにもなったと言います。
そうこうしている時に歌手の人が、到着すると「女の人が来ると、女が来ました、男が来ると男が来ました」と、知らされます。
今からは考えられないことですね。NHKの公共放送で女が来たとか男が来たとか、もう生放送ですから現場の大変さがわかります。
その状況で黒柳さんは、女性の方が来られたようですので、はたしてどなたでしょうか、と言いながらなにかの芸で残していった犬を見て、「こちらの犬はメスですか、オ
スですかと尋ねて、メスだったら、紅組をお応援してください。」
そんなことを言ってその場をつなげたと、言います。
正に、凄いエピソードです。漫才を一人でこなすイメージです、自然とこのようなアドリブが生中継でできることは、黒柳さんの素質はもともと備わっていたと感じます。
当時は生放送でぶっつけ本番、今では考えられない事です。
そんな中で当時25歳という若さで黒柳徹子さんが抜擢されたことは、NHKの中でも黒柳さんの実力が評価されていたと考察します。
最初は個性が強いとか声が変とか揶揄されていましたが、それが逆に魅力に見方が変わったと思います。
この紅白歌合戦を終えたあとNHKの芸能局長から「お前はいい度胸しているなあ」と嬉しい賛辞の言葉を駆けられたと言います。
今だったら当然ですよ、と言われると思いますが、当時の局長が驚くのも無理がありませんね。
それから1980年から1983年まで、4年連続NHK紅白歌合戦の司会をされています。
若い時の経験があり、その時は段取りがすべて出来上がっており、簡単に楽しくこなせ
たと言います。それから、1015年には82歳で司会されており、NHK 以外で通算6度の司会をされています。
本当にこんなに長い間司会も含めて活動されていることは本当に凄いという事しか言えません。
著者もいつでも前向きの姿勢は見習っていきたいと思います。
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伝説エピソード⑩平均睡眠時間3時間で過労になり1カ月入院!すべての番組を降板していた!
過労で1カ月入院でレギュラー番組をすべて降板。
黒柳徹子さんは20代後半に、テレビ週7~8本、ラジオ3~4本のレギュラー番組を持ち週に10数本をこなし、生番組の為、睡眠時間が平均3時間と言う過酷なスケジュールを熟していました。
ある日、テレビの本番中に耳鳴りがして相手役の「セリフ」が聞こえなくてなってしまい、翌日には「目まいが」したため病院に行き検査したら「過労」と診断され、先生から「休まなければ死ぬよ」と言われています。
医者には入院を勧められましたが、
それでも、仕事を続けていましたが、3日目に朝になって足に赤い花弁のような斑点がいくつも出来たため(過労で赤血球が激減したため毛細血管が切れてあざになったため)して1カ月の入院を余儀なきされ、続けていたレギュラー番組をすべて降板したのです。
黒柳徹子さんが、これだけのスケジュールの仕事を熟せたのは楽しくてしようがなかっ
たんだと思いますが、でも体の方ギブアップしてしまったのです。
体はムリするとその反動は必ず来ますからムリは禁物だと思います。
そして、入院して1週間過ぎたころテレビを見てもいいと言われ、自分の出ていた番組を見てみると別の人が出ていて「今日から私がやります」なんて言って、誰も「黒柳さは1カ月で帰ってきます」言ってくれないんです。
あと、渥美清さんの奥さん役をしていたとき、「奥さんはどうしましたか。」と聞かれあっさり「実家に帰ってます。」なんて答えていたと言います。
自分の代わりはいくらでもいると、寂寥感(せきりょうかん)と無力感に襲われたそうです。
黒柳徹子さんはそれだけ一所懸命してきたのに、プライドを傷つけられて、どうしたらいいかと悩んでいて。
病院の院長先生に
「病気しない方法はありますか」
と尋ねています。「そんなことを、言われたのは初めてだ」と院長先生は言いましたけれど一つだけあると答えてくれたといいます。
普通はできないけど、ひとつだけある。それは
「好きなことをやって生きることだ」
と答えてくれたそうです。
黒柳徹子さんはこれからは、好きな仕事だけしていこうと思ったそうです。
やはり、これだけのハードな仕事をしていれば必ず病気になると思います。
黒柳さんは「過労」で済んで良かったと思います。これが変な病気でもなっていたらも
っと長い病院生活になっていたかもしれません。
黒柳さんはそれから好きな仕事だけするようにしてきていらっしゃるから大病なされな
いで来られたのは何よりです。
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伝説エピソード⑪トーク番組「徹子の部屋」で同一司会によるトーク番組として最多世界記録を保持している!
トーク番組「徹子の部屋」同一司会によるトーク番組で最多記録更新中。
1976年2月スタートして以来、2023年9月12日をもって1万2100回でギネス世界記録更新して現在更新中です。
この日番組の途中で ギネスワールドレコーズジャパン代表・石川佳織氏から、今回で3回目のギネス世界記録認定書を授与されました。
黒柳さんは、改めて認定証を3回も頂けるなんて、思ってもいなかったので感無量だといい世界でのべ1万人以上をインタビューした人はいないと思うと、喜んでいたといいます。
この日のゲストは、「徹子の部屋」最多記録53回出演の加山雄三でした。
加山さんからは「記念すべき瞬間に立ち会えてうれしい、徹子さんが健康だからなしえたと、俺も嬉しい、おめでとう」と祝福を送っています。
幼い時にいい思い出を作る事がいかに人の人格の構成に大事か分かると思います、だか
ら黒柳徹子さんはユニセフの活動を通じて子供たちと接しているんだと考察しました。
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