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伝説エピソード⑮西麻布に豪邸を購入!86歳のときに売却してタワマンションに引っ越していた!
黒柳徹子さんの「西麻布の豪邸が22億円で」売りに出ていた。
黒柳徹子さんは1986年に母親の朝さんと住むため、西麻布の587mの土地に「トットちゃん御殿」と呼ばれる土地と建物合わせて10億円の豪邸を建築しました。
地下1階、地上2階建ての邸宅でトレーニング、プール付きの豪邸になっています。
2階には黒柳さんが住み、1階には料理番組の「料理の鉄人」で有名の石橋裕シェフのフランス料理店がテナントと入って営業していました。
トレーニング、プール付きで、料理店が入るとは大きな建物だと思いますが、それにしても凄いたてものですね。
黒柳徹子さんは不動産好きのようで、他にも六本木、南青山にあり、さらに中央区佃に3億円のマンションを購入しています。
一時は借金が13億もありと報じられていて。その支払いで首が回らなくなり売却を決めたと言われています。
1997年に石橋シェフには売却価格は6億円で売却しています。
黒柳さんにとっては4億円はかなりの痛手になったと思います。
不動産価格は需要と供給の関係ですからタイミングがあると思いますが、その時はその
決断が黒柳さんにはベストだと判断したんだと思います。
2019年に石橋シェフが、その後いくらで売却されたかわかりませんが、資産運用のコンサル会社に売却されています。
現在の黒柳さんの豪邸と呼ばれた「トットちゃん豪殿」は非公開でに22億円で内々に売り出されているようです。
現在も非公開で売り出されているがまだ買い手は現れていないようです。
価格は22億円で売り出しているらしいです。新しい情報が出れば追記したいと思います。
黒柳徹子さんの新しい引っ越し先はタワーマンション。
黒柳徹子さんは、米寿を迎えたころから、生活をコンパクトにしたいと、周囲に話していたといいます。
これまで黒柳さんは不動産好きで、都内の一等地に複数の物件を所有していました。
ここ数年の間に周囲に話していた通りコンパクト化を進めてきています。
2004年には中央区のマンションを1戸を、2017年には港区のマンションを2戸売却しています。
「高齢になると不動産の契約更新や売買などの複雑な手続きが難しくなりますし、認知症になって契約手続き自体ができなくなるリスクもある。相続や遺産分割など後々のこともあるので、元気なうちに不動産を現金化して、扱いやすい資産にしておこうと考える人は少なくありません」(不動産会社関係者)
黒柳徹子さんは、不動産などの複雑な手続きが自分ができなくなると困るから、なるべ
く資産を簡素化にしていくようにしたと考察します。
不動産を現金化する一方で、黒柳徹子さんが、新たなマンションを購入したのは意外な地域だったのです。
「アーケード商店街の周辺に平静な住宅街が広がる、若い層に人気を集めるエリアで、
しかもタワーマンションの39階を購入されたといいます」
ロイヤルパークタワー南千住。このマンションは天然温泉付きフィットネスジムも完備されています。
おそらくここに黒柳さんは引っ越したと思われます。というか、黒柳さんには似合わない場所だと都心近くに長く住んでいたから、スッキリしない引っ越し先だという。(テレビ関係者)は述べています。
南千住には「ジョイフル三の輪」という商店街もあります。
若いファミリー層には確かに住みやすいと思いますが、黒柳さんには、ちょっと似合わ
ないような気がします。タワーマンションは見晴らしはいいかもしれませんが、黒柳さんは大丈夫でしょうか。
黒柳さんにいつも寄り添っている男性がいます。
オートクチュールのビーズ刺繍デザイナーで活躍し「ビーズ王子」として人気の田川啓二さんです。
田川さんは「徹子の部屋」に出演した縁で親交を深め、2016年には黒柳さんの事務所の代表に就任されています。
田川さんにはAという弟分がいて、自分の事務所代表をAさんに譲り黒柳さんがタワマンを購入したタイミングでAさんも同じフロアで生活を始めています。
田川さんもAさんも以前からこの地域を拠点で暮らしていて、この引っ越し先のマンションを進めたのもこの二人だと言われます。(前出・テレビ関係者)
黒柳徹子さんは最後は彼らにたくしたい。
徹子さんは、2006年母親を亡くし、長い間一人で暮らして生きてきて、田川さん、Aさんの存在が頼もしく、信頼できる、彼らと同じマンションで生活できることが、ありがたく嬉しかったに違いありません。
田川さんとは2002年「徹子の部屋」に出演したのをきっかけに親交を深めたようです。
2006年に亡くなった、黒柳さんのお母さん(朝さん・享年95歳)も彼の大ファンだと言います。(黒柳さんの知人)
黒柳さんと田川さんの二人のyoutubeを見ていると、本当に信頼している感じがします
黒柳さんに全面的に任しているから、なにかあった時の為に同じマンションの屋根の下
で暮らすことを選んだと思います。
黒柳さんは、田川さんと弟分のAさんに最後はお世話になるつもりだと考察します。
そのための引っ越しだし、事務所の代表にして仕事生活全般を田川さん任していると思います。
相続は、二人の弟と、妹の三人が相続すると思いますが、仕事の後見人は田川さんに任せてあいると思います。
タワーマンションではなく都内のマンションと言う情報。
黒柳徹子さんは、2022年3月にタワーマンションを購入した報じされていましたが、5月11日に購入したのはタワーマンションではく賃貸マンションだという情報がでてきました。
5月11日のフラシュによりますと。
都心のマンションから仕事に向かい、帰宅する様子を確認したと報じています。
「黒柳さんは現在、都心のあるテレビ局の近隣に住んでいると聞いています。週5回放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に加え、他番組の収録もあるので、各テレビ局へのアクセスのよさは必須なのでしょう」
著者は黒柳さんは、毎日「徹子の部屋」週5回とその他の仕事があるのでテレビ局の近隣の近くのマンションを用意したのだと推測します。
黒柳さんが住んでいるあのマンションは、全戸賃貸の物件ですよ。大手ディベロッパーが管理しています。特徴は、貸主側からも期間満了で契約を終了させられる定期借家制度を採用していること。また、契約更新に際しては、定期的に入居者の審査があり、セキュリティも厳重です。そのため、収入が安定しない駆け出しの芸能人では、住むのは難しいでしょう。その意味で、本当のセレブだけしか借りることができないマンションなんです」(不動産関係者)
ちなみに、このマンションは月約30万円~80万円といわれています。この物件は定期借家制度のおかげで芸能人が住むのはけして高くはないと言います。
なぜ、賃貸マンションなのか。
黒柳徹子さんは、都内のマンションを売却した時点で、「黒柳徹子記念財団」を立ち上げています。
この都内の賃貸マンションに住んでいるのも、賃貸だと自分に何かあっても辞めればい
いだけの事で、複雑の事は避けたと思います。
黒柳徹子さんはお友達が、次々亡くなられて、寂しい気持ちと自分の身の回りを着々と準備していると思われます。
後は、健康に注意してじぶんの好きな仕事だけ楽しんでできればいいとそんな気持ちだと思います。
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伝説エピソード⑯若い頃から築き上げた交友関係がすごい!
黒柳徹子さんは、テレビの創成期から現在でも活動しています。
今でも、「徹子の部屋」「世界ふしぎ発見」、youyubeチャンネル、ユニセフ親善大使など様々も顔をもっています。
そんな中で、黒柳さんの思い出の強い方をを見てみたいと思います。
1.森繁久彌さん(1913年~2009年96歳没)
森繫久彌は2009年に亡くなられています。「徹子の部屋」の第一回目のゲストが森繫久彌でした。
徹子さんは、この番組の進め方を「どう進めた方だいいですか」と聞いたら、「好きな
ように喋らせたらいいんじゃなの」と方向性を示していただいたと、述べています。
森繫さんは見事の答え方がシンプルで見事だと思います。
森繫久彌は黒柳さんに会うと必ず「一回どう?」と尋ねられて、徹子さんは「なにを?]
と最初はわからずと答えたら不思議がっていたそうです。
次からは「いつでもいってくださいね」が挨拶代わりに、なったとか。
森繁久彌はユーモアセンスがって大物俳優はやっぱり違うなと感心しました。
2.永六輔さん(1933年~2016年83歳没)
永六輔さんは「言葉の天才」と言われています。
永六輔さんの言葉で、仕事や人生が激変した芸能人は数知れないといいます。
黒柳さんは永六輔さんとは60年ほどの長い付き合いで一度も喧嘩したことがないと言
い、「今楽しむ天才」でもあったと言う。
永六輔さんはNHKの番組「夢であいましょう」、坂本九さんの「上を向いて歩こう」梓みちよさんの「こんにちは赤ちゃん」など、かずかずのヒット曲を連発しています。
永六輔さんはテレビから、ラジオも創成期から活躍されて時代を切り開いて、多くの人
に生きる元気を与えられたことは、本当にその功績は大きいと思います。
3. 渥美清さん(1928年~1996年68歳没)
黒柳徹子さんと渥美清の初共演はNHKのドラマ(お父さんの季節)(1958年~61年)です。
このドラマでは、渥美さんのお見合い相手の役だったそうで。
後に、二人は夫婦役もしています。
渥美さんのその時第一印象は、最悪だったと。
最初は浅草から来た人だと聞いたので、気を付けていました。目が鋭かったのを覚えています。
台本読み合わせの時、冗談いったら、
「なんだこのアマ」
といわれ、わたしは、
「そうおっしゃいますと」
いったら、
「あ~あやだやだ、この手の女は」
と言い返されたそうです。
まさに最初は、渡世人のような感じですね。
2回目は、あの伝説の歌とコントのバラエティー番組「夢であいましょう」です。
そこでは、上記のようなコント連発で仲良くなり、二人は「お兄ちゃん」「お嬢さん」と呼ぶ中になっています。
それから、渥美清さんが「男はつらいよ」を出演するようになり、二人はいつも初日に
新宿に映画を見に行ったといいます。
渥美さんは、徹子さんがどこで笑うかを見ていたと言います。
当時、黒柳徹子さんが渥美清さんとの仲が雑誌に取り上げられて、その写真が黒柳さんはちゃんとした写真に対して渥美さんは、チンドン屋風の写真ばかりで嘆いていたという。後に「徹子の部屋」でも、話題になっています。
黒柳徹子さんは、当時を振り返り「お兄ちゃん」は私の事を好きだったんじゃないかと述べています。
山田洋次監督は、「男はつらいよ」最終章は、黒柳徹子さんをマドンナ役で幼稚園の園
長さんを考えていたといいます。
これは、かなわぬ夢で終わりましたが、渥美清さん「お兄ちゃん」の面影は黒柳徹子さ
んの心にずっと残っていると思います。
4.野際陽子1936年~2017年(81歳没)
野際陽子さんが、テレビでドラマ、キイハンターに出ていたことは知ってい、スマート
で恰好いい姿に感動して見ていた記憶あります。
でも、野際さんが元NHKのアナウンサーとは知りませんでした。
黒柳徹子さんは当時NHKに入社して5年経過していた時に名古屋支局から転勤されてきて出会っています。
当時、黒柳さんは野際さんを見ては目がきらっとして知的な印象があったと述べています。
その後、意気投合して、なんでも話し合える友達になって行ったといいます。当時は、
既製品がない状況でしたので、私が洋服を作っている所で二人で洋服を作ったことがあるといいます。
二人とも、互いに遠慮のない話し方が共感を覚え意気投合したと考察します。
恩師の飯島先生から、「君はこれから外国に出て行くことになるだろうから、外国語を勉強しましう」といわれ、」野際さんと、NHK局内で外国の先生から、一緒にフランス語を習っています。。
飯島匡さんの先見の目は凄いですね、黒柳さんも、野際さんもその通りになっています。
その何年後かに、野際さんはフランスに行って、英語・フランス語はペラペラだといいますから驚きです。
黒柳徹子さんもアメリカ・ニューヨークに留学していますから、二人とも飯島先生の言う通りになっています。
本当に綺麗な脚線美です。
野際さんは、立教大学時代はミス立教。
フランスから帰国の時はミニスカートでタラップ颯爽と降りてきて話題になっています。
そして、ミニスカートは日本第一号と呼ばれています。
野際さんは才女であり凄い逸話の持ち主でもあります。
野際さんがNHKを退職されてから、疎遠になっていましたが、「徹子の部屋」のは16回出演されています。会っていなくても、話始めればすぐに会っていたこのように話が弾んだといいます。
テレビ朝日のドラマ「安らぎの郷」も楽しみに見ていたと言い、2,3日あなたの事ばかり考えていたといいそれが「虫の知らせがあった」と事を明かしています。
直ぐ聞けばよかったと、悔やんでいると言う。
野際さんは、なにを黒柳さんに話したかったんでしょうね。
男女間の恋愛の話でしょうか。それは神のみのが知ってることでしょうね。
黒柳さんは、60年以上の長い付き合いで同じNHK時代で苦楽を共に過ごした一番仲の良
かった親友の死は心に深くしみ込んだに違いありません。
5.池内淳子1933年~1010年(76歳没)
池内淳子さんは1933年生まれで、黒柳さんと同級生です。
黒柳さんが通った同じ「トモエ学園に」通っていたのです。
TBSテレビドラマ「甘柿しぶ柿つるし柿」で黒柳徹子さんと池内淳子さんは共演したことで友人になっています。
その時共演した山岡久乃さんと三人で「老後は同じ老人ホームに入ろう」と(冗談交じり)約束する中になっています。
池内淳子さんが「トモエ学園」に入っていたと言いますから、偶然の一致だと思います。
どちらにしても後に、二人とも大スターになったのですから、凄い事です。
池内さんは墨田区両国の塩物問屋の長女として生まれ1952年十文字高等学校卒業後、日
本橋三越に入社ご呉服売り場に後の前田通子おりふたりの美貌が評判になったといいます。三越は一年で退職されています。
池内淳子さんも、黒柳徹子さんと、ほぼ同時期に芸能界にデビューしています。
1954年(昭和29年)週間芸能誌「サンケイグラフ」の第2回「カバーガール」に応募。
同年9月10日に新東宝本社で開かれた選考委員会で1位に輝いて同社へ入社しています。
1955年(昭和30年)に「皇太子の花嫁」で映画デビューしています。
テレビ業界が主塾
1962年(昭和37年)「よろめきどらま」(現在不倫ドラマ)で人気を博しています。
お嫁さんにしたい女優でも上位にランクインされ、人気、演技力ともテレビ女優ナンバ1位を確立していく事になります
和服の似合う上品な美貌の持ち主として1960年~1980年ぐらいまでテレビドラマの女
王として君臨していたと言うから、池内淳子さんも凄い経歴の持ち主だったんです。
黒柳徹子さんは池内淳子さんの訃報を聞いて「徹子の部屋」で追悼特集を組んでいます。
黒柳さんは「幼稚園の時から友達だった池内さん、年を取ったら、山岡久乃さんと三人で同じ老人ホームに入りましょうと約束しましたね。山岡さんの指令で、あなたは何もしなくていいから、わたしたちを和ませる人というやくわりでしたね。本当に池内さんは何時あっても、どんなスターのときも穏やかで優し暖かいお友達でした。あなたがいなくなったテレビは誰が和ませてくれるのでしょうね。あまりの突然のことで声も出ません。本当に悲しいです。池内さん本当に今までの友情ありがとう」とコメントをよせています。
黒柳徹子さんは、何人ものお友達に次々先立たれて万感の思いだと感じざるえません。
どんな立派で優れていても健康に気を使っていないと思うようには生きられないと思い
ます。
黒柳徹子さんは今以上に健康に気を使って一日でもいいから長生きをしていただきたいと思います。
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