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伝説のエピソード⑥中学生でテレビドラマ「太陽にほえろに出演」
中学生でテレビドラマ「太陽にほえろに出演」
浅野ゆう子さんのお母さんが、石原裕次郎の大ファンで本名の裕子の(裕)は石原慎太郎の(裕)を撮って付けたという事はご存知の通りです。
石原裕次郎さんは1934年~1987年(52歳没)住江さんは1932年生まれで2歳年上になりますが、同じ兵庫県兵庫市須磨区出身で親近感があって憧れていたと思います。
そんな、石原裕次郎さんと娘のゆう子が共演することができるなんて、思いもよらなかったに違いありません。
その後、石原慎太郎さんが、住江さんの経営するバーランジ(昇)に訪れて対面されたことは、エピソード①で述べたとおりです。
浅野ゆう子さんは、14歳の時に大人びいた顔立ちで人気ドラマ「太陽にほえろ」に警察署捜査一課に内勤員2代目(お茶くみ)として出演しています。
石原裕次郎さんと最初の顔合わせの時、浅野さんの第一声が私の方が脚が長いと言って石原さんは目を白黒させていたと言います。
浅野ゆう子さんが当時の「太陽にほえろ」に出演した時に1年契約が、その苦情の件で1サークルの3カ月で降板になったことを話されています。
そしたら、苦情がバンバン来ていたとの事、警察署で中学生の子が働くのはおかしいという。苦情が殺到したといいます。
1年の契約が、3カ月で降板になったと浅野さんは証しています。
その後、東宝映画「恋の空中ぶらんこ」「惑星大戦争」その他立て続けて出演しましたが、役に恵まれず、一時出演が途絶えています。
モデルのブレイクの切っ掛けは
浅野ゆう子のオーディションに入賞したのがデビューのきっかけになったと話しましたが、ゆう子の日本人場慣れした、抜群のスタイルと明るいキャラを評価したのが、福島県郡山氏のうすい百貨店です。
浅野ゆう子さんは「うすい百貨店」のイメージキャラクターとして1974年(14歳~1986年(26歳)12年間勤めています。うすい百貨店として一番長いイメージキャラクターです。
その後の浅野さんは水着のポスターは各方面に貼っても、貼っても盗まれると言う爆発的にブレイクしています。
正にうすい百貨店の広報担当者は先見の目があったなのではないでしょうか。
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伝説のエピソード⑦カネボウ化粧品テレビCM「一気にこの夏チャンピオン」一躍人気に
カネボウ化粧品テレビCM「一気にこの夏チャンピオン」で人気に
1979年(昭和54年)夏のカネボウ化粧品テレビCM「この夏チャンピオン」披露した大
胆な水着姿は世間を驚かせた。
プロポーションは当時から芸能界随一と噂されています。
当時は国鉄や私鉄東京都内の地下鉄の構内にポスターがよく貼られたが、朝貼ると夕方
までに全部盗まれて、マスメディアにも大きく取り上げられていました。
貼られたポスターを盗む気持ちも分かります。でも、自分はさすがに剥がす勇気はないですねえ・・・
浅野ゆう子さんのプロポーションは当時から芸能界随一と言われていましたが、浅野さ
んはそれまでかわいい歌手のイメージがあったため、極小の面積できわどい所をかろう
じて隠している大胆な水着は世間をあっと言わせるインパクトがあったと言われます。
浅野の起用はカネボウのイメージ戦略によるものである。抜群のプロポーションで『週刊プレイボーイ』『平凡パンチ』『GORO』をはじめ、あらゆる雑誌のグラビアの雑誌を席巻しています。
浅野ゆう子さんのプロポーションは中々いない抜群のスタイルをしていますから世の男
性がポスターを盗む気持ちは分かります。
お母さんは容姿端麗にするために正座を禁止し、歯の矯正したり娘を女優にするために
あらゆる努力を惜しまなかった賜物だと思います。
ゆう子さんはお母さんに感謝ですね。
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