デヴィ夫人の若い頃がドラマすぎる!貧乏少女から大統領夫人になるまで

ロングドレスを着た20代くらいの女性が階段を上っている後ろ姿。 エンタメ

テレビでは辛口コメントと華やかなドレス姿が印象的なデヴィ夫人

ですが、その若い頃の人生は「美人ホステス」どころか、戦中・戦後の極貧生活から大統領夫人まで一気にかけ上がったドラマそのものです。

このページでは、すでに知られているエピソードをもとに、

・貧しい幼少期〜中学・高校時代
・赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」でNo.1になるまで
・インドネシア初代大統領・スカルノとの出会いと結婚
・その後の亡命・パリ社交界・娘カリナとの関係

を、若い頃の画像とともにコンパクトに振り返っていきます。

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デヴィ夫人の若い頃をざっくり一言でいうと?

一言でまとめるなら、デヴィ夫人の若い頃は
家族を支えるために、美貌と語学力と努力で“人生を切り開いた人です。

  • 東京・麻布で生まれるも、戦争と貧困で福島に疎開
  • 父の死をきっかけに「自分が家族を支える」と決心
  • 保険会社に超難関の倍率で就職し、昼も夜も働きづめ
  • やがて赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」でNo.1ホステスに
  • 19歳でインドネシアのスカルノ大統領と出会い、22歳で正式に第3夫人へ

「たまたま美人だったから運よく見初められた」というよりも、

戦争・貧困・家庭の事情というハードモードの中で、「ここしかない」と勝負をかけ続けた結果

大統領夫人というポジションに辿り着いた…という方がしっくりきます。

貧乏少女から美しすぎる中学生・高校生”時代へ

デヴィ夫人の若い頃年表1952年(13歳)~1958年(18歳)


デヴィ夫人の若い頃年表1952年(13歳)~1958年(18歳)

デヴィ夫人は東京・麻布の大工の家に生まれますが、戦時中は母と弟とともに福島へ疎開。

終戦後も暮らしは楽ではなく、中学生の頃から「家計を助ける」意識が強かったと語っています。

港区立高陵中学校〜都立三田高校定時制に進学すると、

  • 英語の成績は学年トップクラス
  • そろばん・暗算の資格も取得
  • 絵を描くのも得意で、画家を夢見た時期もあった

と、勉強面ではかなり優秀なタイプ

それでも家庭は苦しく、千代田生命の人事秘書課に「450人中3人」という狭き門を突破して就職します。

昼は保険会社、夜や休日は喫茶店やアルバイト…という、ほぼ休みなしの生活

ここで身につけた語学力とコミュニケーション力が、後の「コパカバーナ時代」「大統領夫人」につながっていきます。

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高級クラブ「コパカバーナ」でNo.1にのぼりつめる

デヴィ夫人の若い頃画像⑲1958年(18歳)


高級クラブ「コナカパーナ」でNO1になる。 美しいデヴィ夫人18歳の時

16歳のときに父が他界し、足の悪い母と弟を養う大黒柱になる覚悟を決めたデヴィ夫人。

その後、知人の紹介から赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」のオーナーに気に入られ、働き始めます。

「コパカバーナ」は、当時の政財界や外国人VIPが集まる超一流クラブ。

そこで彼女は

  • 抜群の美貌
  • 独学で身につけた英語力
  • どんな相手にも物怖じしないコミュニケーション力
  • を武器に、あっという間に店のNo.1ホステスになります。

一晩でOLの給料1か月分を稼ぐような世界で、「うちのプリンセス」と呼ばれ、

多くの政治家や実業家が彼女に会うために店に通っていた…という証言も残っています。

19歳でスカルノ大統領と運命の出会い

デヴィ夫人の若い頃画像㉒1958年(18歳)


デヴィ夫人の若い頃画像スカルノ大統領とのツーショット
そして1959年、19歳のとき。
賠償金ビジネスでインドネシアと日本の橋渡しをしていた東日貿易の久保正雄社長の紹介で、
当時インドネシア初代大統領だったスカルノ大統領と帝国ホテルで正式に対面します。
政治的な思惑や企業の思惑が絡んでいたとはいえ、
スカルノ大統領は根本七保子(のちのデヴィ夫人)に一目惚れ
その後、インドネシアに招待され、1962年に正式に結婚します。

デヴィ夫人の若い頃画像②1962年(22歳)スカルノ大統領と
デヴィ夫人の若い頃画像1962年(22歳)スカルノ大統領と

22歳にして、インドネシア大統領第3夫人となり、日本国籍を離れインドネシア国籍を取得。

スカルノ大統領は彼女に
「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(聖なる宝石のような女神)」
という名前を贈りました。

ここまでの流れをざっくりまとめると、

  • 貧しい家庭に生まれる
  • 家族のために働きながら勉強し、語学力と教養を身につける
  • 高級クラブでNo.1になり、政財界のキーマンたちと出会う
  • その先にスカルノ大統領との縁が生まれ、大統領夫人へ

という、まさに小説よりすごいリアルシンデレラストーリーです。

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スカルノ失脚後〜亡命、パリ社交界、そして娘カリナ

デヴィ夫人の若い頃画像1964年(24歳)


デヴィ夫人の若い頃画像1964年(24歳)ファーストレディとして活躍

しかし、1965年の軍事クーデターでスカルノ大統領は失脚

デヴィ夫人もファーストレディの座を失い、やがてフランスへ亡命することになります。

その後は、
パリでは「東洋の真珠」と称され社交界の華でしたが、大統領失脚後は日本へ。

  • 娘・カリナを育てながら、パリやスイスの社交界で活躍
  • 自らビジネスを立ち上げて「スカルノの遺産だけ」と言われないよう努力
  • 娘とのすれ違い・確執を抱えながらも、のちに和解

と、華やかさだけでなく母として」「一人の女性として」も波乱万丈な道を歩み続けます。

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まとめ:若い頃のデヴィ夫人は美人よりも生き抜く力がすごい

デヴィ夫人の画像2006年(66歳)


デヴィ夫人の画像2006年(66歳)

改めて振り返ると、デヴィ夫人の若い頃は

  • 戦争と貧困の中でも勉強を続けた「努力家」
  • 家族を支えるために働きづめだった「大黒柱」
  • チャンスを逃さず、世界のトップまで駆け上がった「勝負師」

デヴィ夫人の人生はまさに波乱万丈ですね。

生き抜く力のかたまりのような人物像です。

 

 

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