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デヴィ夫人の全盛期はいつだったのか?
デヴィ夫人の全盛期はいつだろうかと、考える時にポイントが沢山ありすぎて迷ってしまいますが、デヴィ夫人の本当の全盛期は17歳から19歳の3年間だと思います。それを考察してみたいと思います。
1956年にデヴィ夫人が16歳の時にお父さんが無くなってしまいます。
デヴィ夫人には足が悪い母親と弟がいて、「一家の大黒柱になるのは自分しかいない」と決心する。
そんな中でデヴィ夫人の運命を変えたと言う人物に出会う。
①一人目1957年デヴィ夫人17歳がジェイムズ・ベイカーという宝石商人を紹介されて仲良くなっています。
彼は、かなりの金持ちで色んな所に連れて行ってくれています。
世界中のセレブが集まる場所VIPばかりが来ます。
赤坂の高級ナイトクラブ「コパカバーナ」です。
②二人目、長尾久子という「コパカバーナ」のオーナーに出会うのです。
そして、長尾久子は、デヴィ夫人を気に入り
「コパカバーナ」で働いて欲しいと言いました。
デヴィ夫人は直ぐに承諾したとのことです。
「コパカバーナ」時代のデヴィ夫人について
室井佑月さんが語っていました。
室井さんは母親?(だかおばあさんだか知人)
が「コパカバーナ」で働いていた。
室井:「とにかくデヴィ夫人はすごく美人で
他の店員とまったくレベルが違った。
多くの政治家やVIPがデヴィ夫人に会うために
店に来ていた。」とのことです。
本当にすごかったのですね。
➂三人目のキーマンが現れます。デヴィ夫人が18歳の時です。
「久保正雄」という東日貿易社長さんでした。
インドネシアビジネスに深く関わっている人です。
あるとき久保さんに言われています。
「コパはやめろ」
「お金なら僕がサポートする」
「要人が会いたっがている人がいる」と言ってきました。
1959年6月16日
スカルノ大統領と出会う
スカルノ大統領は七保子に一目惚れして、七保子をインドネシアに招待して、3年後に結婚します。
1962年に正式にスカルノ大統領と結婚して、インドネシア大統領第3夫人となり日本国籍から離れインドネシア国籍を取得しています。
スカルノ大統領61歳、根本七保子22歳,実に39歳差の結婚です。
スカルノ大統領は彼女に、Ratna Sari Dewi Sukarno(ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ)という名前を送っています。
サンスリット語でラトナは宝石、サリは聖、デヴィは女神を意味するといいます。
スカルノ大統領は七保子に「聖なる宝石のような女神」と名付けています。
まとめ
デヴィ夫人は外国の小説を読み漁っていつかは自分も小説の中の主人公のようになりたいと夢見ていたといいます。その時にインドネシアスカルノ大統領に会った時に「千載一遇のチャンス」と捉えたことです。普通の少女だったらそこで舞い上がってしうところですが、デヴィ夫人は冷静に捉えていたとは凄いことです。
1番目に、宝石商のジェイムズ・ベイカーに知りあいになっている
2番目に「コパカバーナ」オーナーの長尾久子に会い、進められてコパカバーナで英語力を磨きながら、仕事をしている。
3番目に東日貿易の久保正雄社長
久保社長は「コパカバーナ」の美しい根本七保子を必要としていた。
いかがでしてか、以上の観点から私はデヴィ夫人の全盛期は17歳から19歳の3年間だと思ったしだいです。
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デブィ夫人・プロフィール
- 名前:(本名・インドネシア名)ラトナ・サリ・デブィ・スカルノ(旧名・日本名)根本七保子:別名義:デブィ夫人
- 配偶者:元インドネシア大統領・スカルノ
- 国籍:インドネシア
- 生年月日:1940年2月6日
- 身長:159cm
- 血液型A型
- 出身地:港区西麻布
- カテゴリ:タレント・声優・ナレーター・評論家・コメンテーター・作家・画家・宝石デザイナー
- デビュー:デヴィ夫人涙の告白(テレビ朝日)
- 学歴:東京都三田高校定時制部(中退)
- 家族:父(兵七郎)・母(政子)・弟(4人家族)
- 娘:カリナ・サリ・デヴィ・スカルノ
- 干支:ウサギ
- 星座:みずがめ座
- 趣味/特技:スキー・水泳・乗馬/絵画・花壇・執筆
デヴィ夫人の家族
夫:スカルノ元インドネシア初代インドネシア大統領
生年月日:1901年6月日~1970年6月21日(69歳没)
娘:カリナのプロフィール
- 本名:カリナ・サリ・デヴィ・スカルノ
- 出身地:東京都
- 生年月日:1967年3月11日
- 配偶者:フリッツ・フレデリック・シーガス
カリナさんはデヴィ夫人が27歳の時に産んだ娘。スカルノ大統領にとっては8番目の子供です。
スカルノ大統領(インドネシア人)とデヴィ夫人(日本人)が両親なのでハーフとなります。
デヴィ夫人の娘・カリナの経歴
- パリで幼少期を過ごす
- 高校(スイス)を卒業
- パイン・マナー女子大(ボストン)でマスコミを学ぶ
- 民放で記者になる(東京)
- 広告代理店と財団に勤務(ニューヨーク)
- カルティカスカルノ財団(インドネシアの子供を支援)を設立
2005年にはフレデリック・シーガスさんと結婚。2007年には息子キラン君を出産しています。
カリナの子供・キランのプロフィール
- 名前:フレデリック・キラン・スカルノ・シーガス
- 生年月日:2007年5月26日
- 言語:英語、フランス語、オランダ語、日本語、ラテン語、インドネシア語
6か国語堪能(
カリナさんの子供・キラン君は父親の仕事の都合でイギリスとインドネシアで生活していたそうです。
学校はイギリスのパップルウィックスクールへ通っています。
娘カリナの旦那:フリッツ・フレデリック・シーガスさん(62歳没)亡くなられています。
「彼の死は 大きなニュースとなり、 インドネシア中の新聞に掲載されました。 連日、 私達の写真が 報道されていたいた。」とデヴィ夫人はおしゃっています。
フリッツ・フレデリック・シーガス氏は大手銀行のCEOで人望も厚く多くの方々に いかに尊敬され、 愛され慕われていたといいます。
- 名前:フリッツ・フレデリック・シーガス
- 生年月日:1959年~2021年2月4日(62歳没)バリ島で亡くなっています。死因はインスリンショックだそうです。
- 出身地:オランダ
- 出身学校:シカゴ大学、デルフト工科大学(オランダ最古の工科大学)
カリナの旦那の経歴
- 1989年 シティバンク入社
- 2001年 アジア太平洋CEO
- 2004年 欧州、中近東、アフリカCEO
- 2006年 バークレイズ銀行入社・CEOに就任
- 2009年 バークレイズ銀行退社
フリッツ・フレデリックさんの年収は18億円ともいわれています。
けた違いの年収です。
娘のカリナさんは、資産家の立派な方と結婚されてお子さんにも恵まれて大きくなられて良かったと思ったら、旦那さんが62歳という若され亡くなられて本当に残念だと思われます。
キランさんが生まれて、お母さんの大変さが分かったのでしょう。これからはもっとお母さんを大事にして、仲良くして頂きたいとおもいます。
まとめ
デヴィ夫人の人生は一言でいえば波瀾万丈です、その人生は小説より奇なりです。私はデヴィ夫人は凄い人だと思います。
大統領夫人になられたことで、最愛なるお母さんと弟さんを亡くされその代償は大きくて計り知れないと思います。
更に、大統領が亡くなり、国を追われて娘を授かり母として生きていくにはきれいごとでは生きていけなかったと思います。されど、母は強しデヴィ夫人は強かったのです。
デヴィ夫人は言っています。
私は人の3倍勉強して、人の3倍働いて、人の3倍努力して、人の3分の1の睡眠でやってきました。
さらに、私が自分をラッキーだと思うのは、幼いころに体験した戦争と貧しさが、どんな逆境でも生き抜く力を与えてくれたことを話されています。
いかがでしたか、本当に頭がさがる思いですね。
健康に注意して頂き自身の目標である、人間の煩悩の数108歳を目指して過ごしてほしいと思います。
最後まで、ご覧くださりありがとうございました。
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