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2006年(26歳)
2006年(26歳)の時に三菱UFJ銀行に就職されています。
銀行に就職したのは26歳の時の時ですから京都大学へ入学したのは2002年になります。大学にストレートに入れば卒業は2005年になるはずですから、一浪したか、それとなにかしていたかもそれから京都大学に入学したことになります。
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2014年(34歳)
分析・予測の専門家(アナリスト)の初代ニューヨーク駐在として赴任。
2006年に三菱UFJ銀行へ入社。主に企画部や金融市場部で分析・予測の専門家(アナリスト)として従事する。担当範囲は日本、米国、中国、韓国、中南米などの政治・経済・市場。2014年にアナリストの初代ニューヨーク駐在として赴任し、4年半にわたってアメリカ大陸の主要9ヵ国25都市で活動されています。
経済、為替のスペシャリストとして、主要都市を回って活躍していたとは、凄いことです。その若さでも死ぬかと思ったぐらいですから、相当の苦労があったのでしょう。
この時に強いメンタルが養われたのが市長になってから生きたと思います。
どうして安芸高田市長選に立候補したのか
地元のことを考えたのは大学生の時だと言います、広島市の高校に通いだしたら、「都会に出た」と思っていたらさらに大きな都会があり、衝撃を受けたといいます、「感慨に耽る」と思い、振り返り育ててもらった地元に還元したい気持ちになったと言います。
そして、就職で東京に出てみたら、別世界で日本とは思えないほどだったといいます。その後、ニューヨークへ赴任してカナダからチリまでアメリカ大陸を巡る仕事を通して、世界の広さを実感しいろいろな国、いろいろな町を訪れて見ていると地元に意識が向かい、「生まれ育った場所は特別なんだと」と思いに至ったという。
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