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和田アキ子さんは芸能界では、知らない人がいないほど有名で、ボス的存在です。
松本人志の性加害疑惑の渦中の一人のスピードワゴンの小沢一敬と同じ事務所ホリコム所属 歌手・和田アキ子(73)が21日、TBS系「アッコにおまかせ!」に生出演して。
現在の小沢の様子について、和田は「よっぽど体調悪いんですよ。お医者さまにも診てもらって。それはやっぱり自分が迷惑かけたって、他の人にもっていうのがあるし。やっぱり松本さんが(活動)休止されたっていうことをすごく本人が気にしているみたいで」と明かした。
和田は、芸能事務所・ホリプロに所属。「これはこの間、私が会社に行って聞きました」述べています。
やはり姉ご肌で後輩思いで小沢さんも心配だったのでしょう。そんな和田さんですが、自身の体調も思わしくないようです。
和田アキ子さん自身も右目が見えないのと、現在股関節の手術で入院されているようです。心配ですね、早めの回復を祈っております。
改めて、和田アキ子さんの本名、韓国籍、生い立ちを紹介します。
- 和田アキ子の本名?
- 和田アキ子芸名の由来
- 和田アキ子の韓国人・ハーフ説
- プロフイール
- まとめ
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和田アキ子の本名?
和田アキ子さんの本名は
和田アキ子さんの本名は「金福子(キム・ポクジャ)」といいます。
和田アキ子さんは在日韓国人2世だったのです。
本名は金福子で通名は金海福子(かねうみふくこ)です。
帰化して、和田現子(わだあきこ)に改名。
再婚後は飯塚現子(いいずかあきこ)
愛称は、アッコ(さん、ちゃん)、アコ(さん、ちゃん)、ゴッド(姉さん、姉ちゃん)と言われています。
済州島出身者の父と、朝鮮半島出身者の母を持つ在日韓国人2世で、かつての本名は金福子、通名は金海福子(かねうみふくこ)である。芸能界デビュー時に、在日韓国人だとわかる名前をまずいと思った父親が、和田アキ子の叔父(叔父は当時既に帰化して「和田」姓だった)の養子にしてもらい、同時に名前も「現子」と改名して「和田現子」(わだあきこ)となった。
本人が韓国人2世だと知ったのは、戸籍を取るに市役所に行ったときだそうです。
和田アキ子さんは幼さないの時からお父さんからの虐待に耐えかねて中学年生の時に、家でして大阪の繁華街で喧嘩の毎日に明け暮れていましたが、後にジャズ喫茶に入り浸りするようになります。
そんな和田さんでして画、小学5年生の時からレイ・チャルーズに憧れるほど、ジャズやブルースという洋楽がすきで、大阪市内のジャズ喫茶に入り音楽を聴いていたのです。スポンサーリンク
和田アキ子の芸名の由来
15歳の時から、聞いているのだけでは飽き足らず、ジャズ喫茶や「ゴーゴークラブ」で歌い始めるようになると、174センチの長身からの発するパワフルな歌声は評判を呼び、16歳のある日、和田さんがスターで歌っていると、東京から来たと言う芸能事務所の男性から、
直接、社長に会ってほしいと、懇願されたことから、適当に話だけ聞いて帰るつもりで、会うことに。
ホリプロ社長からスカウト
後日、東京からやってきたのは、角刈りにいかついスーツの怪しい男性だったですが、その人こそ、大手芸能事務所「ホリプロ」の堀郁夫社長でした。
堀プロの社長の話を聞いた和田さんは、納得したようで、このまま大阪にいても「極道」しか道はないと思ってその場で芸能界入りを承諾したのです。大阪には二度とお戻らないと決心したといいます。
あれほど、厳しく育てていた父親ですが、そこはちゃんとアキ子さんの事を考えていたのです。
アキ子さんの通名は金海福子(かねうみふくこ)と言う名前だっと先に書きましたが、「金海」は大阪の在日韓国人が多く名乗っていたため在日韓国人だと分かる事を恐れたお父さんは、叔父さんの和田忠弘さんと養子縁組させて、「和田現子」(わだあきこ)に改名させています。
和田アキ子さんの叔父さんは、凄い人物です。
和田忠浩さんは金融業や不動産業を手広く展開し、漫画『ミナミの帝王』のモデルになった人物と言われています。
しかし2002年に恐喝未遂罪で逮捕され、その後実刑を受けています。
ホリプロの堀社長は和田アキ子さんをデビューさせるに渡って、「現子」では読めないだろうと「堀社長がカナで(アキ子)と名付けたそうです。」
(本名の「現子」を「アキコ」と読ませるのは当て字だそうです)
この字をアキコと読める人は中々いないと思います。
当時のキャッチ・コピーは「和製リズム・アンド・ブルースの女王」。
1968年(昭和43年)10月25日、「星空の孤独」でレコードデビュー。
このデビュー曲は話題にならなかったが、2曲目の「どしゃぶりの雨の中で」が17万枚のヒットし、人気歌手の仲間入りをした。
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和田アキ子の韓国人・ハーフ説
和田アキ子の両親
和田アキ子の父親は、金基淑(きんもとよし)さんと言います。
済州島出身で柔道の師範を持ち、自宅で「金海道場」と言う柔道場を開いていました。
子供の頃和田アキ子さんが最も恐れていたのはお父さんで、体重100キロを超える巨漢で柔道の師範で、6歳の頃から柔道の指導を受けていました。
中学1年生の時には柔道初段の腕前だったといいますから、凄いです。普通の人ではかなわないと思います。
(お父さんは、大阪環状線鶴橋駅の近所にある自宅で柔道場を開いていたそうです。)
また礼儀作法に関する躾が激しく、口より先に手がでるお父さんでした。和田アキ子さんはドラマで見る優しいお父さんがいる家庭に憧れてをもっていたそうです。
和田アキ子の母親は金海森子さんといいます。
お母さんは、韓国・慶尚南道出身で方で、鶴橋・国際市場で、自ら米屋を営んでいました。
お母さんは2005年10月にクモ膜下出血で85歳で死去されたいます。
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和田アキ子の生い立ち
和田アキ子さんは、済州島出身者のお父さんと朝鮮半島出身者のお母さんの間に1950年4月10日に大阪府大阪市天王子区舟橋町で在日韓国人2世として誕生しました。
自分が日本人ではないと知ったのは中学生の頃で、区役所に行ったことがきっかけでした。
したがって、和田アキ子さんは、在日韓人2世です。ハーフではありません。
その後、芸能界デビューの際に帰化したため、現在の国籍は日本です。
幼い頃から体が大きく、小学6年生の時には身長がすでに165cmあったそうです。
このことが原因で学校ではイジメを受けることもあり、さらに厳しいお父さんに反発することも増え、非行の道を歩み始めました。
和田アキ子さんは長女で弟さんが3人います。
1人はすでに亡くなっており、1人は一般人の為情報がありません。
2番目の弟である和田現夫(あきお)さんは「お惣屋わだ家」を経営しています。
加山雄三さんと一日違いの誕生日だそうです。和田アキ子4月10日、加山雄三4月11日。そこで、二人で誕生日祝いをしたそうです。
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和田アキ子さんはこれまで2回結婚されています。
1人目は元マネジャーの小林甫(こばやしはじめ)
最初に結婚された方は永年、和田さんの芸能活動支えておられたマネジャーの小林甫さんと1077年10月、和田アキ子さん26歳のときに結婚されています。
和田さんを身近で公私ともで支えておられたので、信頼関係ができたのだと思います。
そうして、二人は同棲生活を5年経て結婚しました。
しかし、結婚生活はわずか8ヶ月半で破綻してしまいます。
和田アキ子さんの離婚の理由
和田さんの離婚の原因はマネジャーの変更と言われています。
結婚したことを機に小林甫さんは和田アキ子さんのマネジャーを外れています。
和田アキ子さんが仕事が忙しくて、夫婦の時間がほとんどなくすれ違いのが多くなり別れの原因のようです。
二人の間には子供はいませんでした。
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現在は芸能事務所社長
小林甫さんは現在ティアンドケイ・ミュージック(坂本冬美さんがいます)の代表取締役を務めています。
離婚後も和田アキ子さんと元夫の小林甫さんは仲が良く、今でも現在の旦那さんと3人でゴルフに行ったりしているとのことです。
再婚相手は現在の飯塚浩司(いいづかこうじ)
和田アキ子さんの2人目の結婚相手は元カメラマンの飯塚浩司さんです。
二人の出会いは、当時和田アキ子さんは31歳の時に出演していたドラマ「ひまわりの戦争」で、和田アキ子さんの一目惚れだったそうです。
そして、二人は愛でたく結婚したのです。
結婚2か月で子宮がんが発覚
しかし、結婚してわずか2か月で和田アキ子さんの子宮がんが見つかり子宮を全摘出する手術を受ける事に。
和田さんは大の子供好きで、この時のショックの大きさが分かるエピソードがものがなっています。
その当時の子宮がんについては公表されていませんでしたが、2017年のテレビ番組で和田アキ子さんがこの時の心境を語っています。
「思いだすと涙が出てくるね」と涙を流した和田は、「母親に『浩司の精子をもって山の中に行って(子供を)産んでくれ』って言ったらオカンが半狂乱になった」と母親とのやり取りも明かし、手術のわずか10日後にがんを公表しないまま仕事に復帰し、「がんは(和田アキ子の)イメージじゃない」と会社から言われたことも明かした。
和田アキ子さんの精神的ダメージの大きい時に会社の内面的な支えがあったと思いますが、和田さんのイメージに合わないと言うのはちっと違う感じがしますが、ファンは返って応援するんじゃないかと思います。
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(旦那)・飯塚浩司さんの支え
和田アキ子さんはわずか結婚2カ月で,子宮がんが発覚し、全摘出する事になってしまった和田アキ子さん。
子供を産み、将来は子供とデュエットすると言う夢まで絶たれてしまいました。
何より、旦那さんの子供を産むことができない。離婚も考えたと言います。
和田は、
「手術しないと命に関わる。ただ、子供が産めない体になる」
と告げられると
「そんなん嫌や!」「もう別れてもええで、こうちゃんの子供産んであげられへんし。もう死にたい」
と号泣。そんな和田に、飯塚さんは
「俺は子供のために結婚したわけじゃない。俺はアコが好きなんだ」
と伝えたという。
この報道後に旦那さんの人柄が素晴らしいと、賛美の声が寄せられていました。
本当に素晴らしい旦那さんだと思います
女性にとって子供が授かるといいのは、子供の欲しい女性にとっては本当に切実な問題です。
和田さんは子供が欲しいのに、子宮がんという事で、子供が持てない体になると言うのは本当に辛いと思います。それを支える旦那さん巡り合えたことは、和田さんにとって何事にも代えがたいものです。
これからもお幸せに。
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和田アキ子さんのプロフイール
- 本名:金福子(キム・ボクジャ)
- 別名:金海福子(かねうみふくこ)
- 帰化前:和田現子(わだあきこ)
- 再婚後:飯塚現子(いいづかあきこ)
- 生年月日:1950年4月10日
- 夫:飯塚浩司
- 出身地:大阪府大阪市天王寺区舟橋町
- 身長:174cm
- 体重:63kg
- 血液:O型
- 星座:牡牛座
- 学歴:大阪市立真田小学校
- :私立城星学園中学校
- :私立城星学園高等学校中退
- 趣味:読書・パソコン・麻雀。パチンコ・競馬・ギャンブル・ゴルフ
- 資格:柔道初段・空手初段・そろばん1級
- 職業:歌手・タレント・司会・女優・ラジオパーソナリティー・実業家
- 活動期間:1968年~
- 事務所:ホリプロ
- 家族
- 父親:金・基淑 韓国済州島生まれ
- 母親:金海森子 釜山出身 2005年にクモ膜下出血により死去
- 長女:本人
- 長男:一般の方です。
- 次男:和田現夫
- 三男:一般の方です。
- 両親6人家族で。弟さんは亡くなっています。
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和田アキ子さんの代表曲を紹介します。
1968年10月25日「星空の孤独」シングル | |
1969年4月25日「どしゃぶりの雨の中で」シングル
|
|
1969年10月25日「その時わたしに何が起こったの」シングル |
1970年3月25日「笑って許して」シングル | |
1970年7月5日「さすらいブルース」シングル | |
1970年11月5日「貴方をひとりじめ」シングル | |
1971年3月5日「卒業させてよ」シングル | |
1971年6月5日「天使になれない」シングル | |
1971年9月5日「涙の誓い」シングル | |
1971年12月5日「夜明けの夢」シングル | |
1972年3月25日「あの鐘を鳴らすのはあなた」シングル |
和田アキ子さんは18歳の1968年10月25日に「星空の孤独」でデビューしましたが、一枚目の曲はヒットしませんでした。
しかし1969年4月25日リリースした2枚目のシングル「どしゃぶりの雨の中で」が17万枚を売り上げるヒットして、
1970年3月25日リリースした4枚目のシングル「笑って許して」が20万枚を売り上げるヒットになり、オリコンチャートも当時自己最高の11位を記録しました。
和田アキ子さんは1970年に「第21回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たしています。
そして人気歌手の仲間入りを果たされたのです。
その後、11枚目のシングル「あの鐘を鳴らすのはあなた」で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しています。
和田アキ子さんは名実ともトップスターの座に上り詰めたのでした。
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まとめ
和田アキ子さんの本名は、金福子(キム・ボクジャ)通名は金海福子(かねうみふくこ)さんです。
お父さん、お母さんも韓国人で和田さんは在日韓人2世になります。したがってハーフではありません。
和田さんは、2回結婚されています。
1人目は元マネジャーの小林甫さんで、交際期間は、5年と長かったのですが、結婚して8ヶ月で離婚しています。離婚の原因は、和田さんが忙しすぎてお互いの時間が取れないのが原因のようです。
2人目の方は、飯塚浩司さんと言い、元カメラマンです。テレビドラマ「ひまわりの戦争」で和田さんを綺麗に撮ろうとして、何回も撮っていたら、「私に惚れてる」と和田さんの方から、アプローチしたらしいです。
しかし、結婚2か月目に子宮がんが発見され、全摘出の手術が必要で、私は、(子供が産めない、浩司別れてくれ)と、言ったら、「俺は子供の為に結婚したわけじゃない。アコが好きだから、結婚したんだ。」といわれ、優しい旦那に感謝したという。
(この優しい旦那さんの言葉に、ファンの多くの方から、賛美の言葉が寄せられていたと言います。)
現在は夫婦仲良く暮らしているようですが、和田さん自身が、右目が見えないようで、そこに股関節の手術で入院しているようですから、体にいたわって過ごして頂きたいです。
最後まで、ご覧頂きありがとうございます。
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