【画像99枚】夏目雅子:昭和の微笑と言われた若い頃がどれだけ凄ったかを出演作から考察してみた!

夏目雅子 エンタメ

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1983年(25歳)の夏目雅子

この年はいろんなジャングルの映画に出演しています。
身近な生活、政治、探検、職業など夏目雅子の女優としての幅広い分野での活動をしている姿が伺えます。
やはりそこに光っている美しい女優夏目雅子の姿だと思います。
夏目雅子の若い頃画像66枚1983年(25歳)


夏目雅子の若い頃画像66枚1983年(25歳)

この年の主な出来事です。
  • 松竹映画「時代屋の女房」公開。
  • 東宝映画「小説吉田学校」公開。
  • 日本ヘラルド映画と東宝が配給「南極物語」
  • 「魚影の群れ」松竹・富士配給

1983年に松竹映画「時代屋の女房」公開

村松友視原作・監督森崎東、村松友視が書いた小説。1982年、第87回直木賞受賞。
夏目雅子の若い頃画像67枚(25歳)1983年松竹映画「時代屋の女房」


夏目雅子の若い頃画像67枚(25歳)1983年松竹映画「時代屋の女房」

女優・夏目雅子の永遠の美が烙印された人情劇ようたわれています。
夏目雅子の若い頃画像68枚1983年(25歳)「時代屋の女房」


夏目雅子の若い頃画像68枚1983年(25歳)「時代屋の女房」

この映画のスートリーとしてはあり得るかもしれませんが、こんな綺麗な人がこんな風になるかはちょっとあり得ないと思います。

まさに架空の世界を描いた作品のように感じして本当に小説映画だと思います。

夏目雅子の美しさだけが印象的な映画です。

同年東宝映画「小説吉田学校」公開

同年小説吉田学校は前から見たいと思いまして著者もDVDで見ました。
その当時の政治の内側をしれて大変良かったと思いました。
夏目雅子は吉田茂の娘、吉田和子役(三女)で出演されています。
吉田茂の三女役ですから、直に政治の側近の内側を見てきた役を演じるのですから夏目雅子は凄い役に恵まれていたと思います。
小説吉田学校」は政治評論家戸川猪佐武による実録小説です
政治の裏側が見えて、吉田茂の政治の姿が垣間見れて、政治好きな人にはいい作品になっています。
吉田茂の三女役(和子役)での夏目雅子は、(いい役をしています。)紅一点であんまり出てきませんでしたがもし夏目雅子の存在が無ければただの政治映画だけになったと思います。

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日本ヘラルド映画と東宝映画配給1983年「南極物語」公開

1983年の「南極物語」は悪天候に阻まれ、南極探検隊員の飼っていた15匹のカラフト犬が南極昭和基地に取り残された実話をもとにした、壮大なスケールの作品で撮影は3年余りかけたそうです。この「南極物語」は空前のヒットになっています。
夏目雅子さんは、出演は京都の撮影シーン2回のみの出演。
これが京都で行われる祇園崔の山鉾巡行のようすです。
日本三大祭りの一つ。
あと二つは大阪天神祭、東京神田祭。
一回目は夏のシーン祇園崔の山鉾巡行の日7月7日

人ごみの中で祇園崔の山鉾巡行を見ている、渡瀬と夏目。

渡瀬は南極圏の犬が気になったのか」隣の犬が気になり、ちょっかいをしている、隣のご婦人が犬の好きな人はいぬの方でも分かるとつぶやている。

夏目雅子の着物姿が素敵です。

何気ない風景も様になるのはやはりそこは女優さんなんだと思います。

二回目は秋のシーン京都大学物理研究室の棟
夏目が新聞をもって焦って走ってくる、渡瀬がなんでやときく、新聞記事をみせる。
新聞には第3次南極編募集員迫ると書いてある記事を見せて、「あんた黙って行くつもりか」と問い詰めるが、渡瀬は「いや、またお前を置いてけないと言う。
そしたら、夏目が「まだ間に合うと、南極に行って、確かめてそのうえで私を選ぶかどちらかにして」と言う。
こんな風に見つめられて言われたら、著者だったらいけないかもしれません。

第1次越冬隊の樺太犬15頭を、無人の昭和基地に置き去りにせざるを得なくなった。

極寒の地に餌もなく残された15頭。

犬係だった二人の苦悩、そして一年後に第3次南極隊に志願して来て、再び兄弟犬タローとジローに再会する物語です。

そんな中で、紅一点の夏目雅子の存在がこの映画には欠かせない存在になっています。

「魚影の群れ」同年松竹・富士配給で公開

1983年夏目雅子は「魚影の群れ」に出演しています。

相米慎二と言えば皆さんが知っている、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」が有名です。
緒形拳、佐藤浩市ら実力派俳優陣が競演。
本州の最北端、下北半島の町大間。大間と言えばお正月にテレビでいつも話題になる本マグロで有名な町です。
この町を舞台にしたヒューマン文芸ドラマです。
下北半島の先端の町
夏目雅子の自然体の感じのいい映画です。
漁師の娘の気の強さが前面に出ていて面白いです。
こんな娘がいたら親はたまらなくかわいがるんでしょうね。あと緒形拳と十朱幸代の演技も素晴らしいですね。

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1984年(26歳)の夏目雅子

この年の主な出来事です。
  • 日本ヘラルド映画「瀬戸内少年野球団」主演。
  • 東映映画「北の蛍」はナレーションのみ。
  • 作家の伊集院静と結婚

この映画が夏目雅子の遺作作品になりました。

渡辺謙さんのデビュー作品でもあり、岩下志麻さん、郷ひろみ、島伸介、中々豪華版の出演者です。

出演者の子供たちが寂しいだろうと一緒にお風呂に入り背中を流していたと言われるエピソードもあります。

そんな人間味あふれる夏目雅子は本当に偉大な女優だと思います。

女優さんでこんなことする人はいないと思います。

もっと長く生きて欲しかったです。

日本ヘラルド映画「瀬戸内少年野球団」主演・公開

淡路島出身の作詞家阿久悠自伝小説です。
これが夏目雅子が最後に主演した最後の作品です。
共演は郷ひろみです。
岩下志麻さんなどみんな若いですね。

この映画は夏目雅子の遺作です。

それと共演者が郷ひろみ、俳優の渡辺兼がこの映画がデビュー作だとは思わかったです。

島田紳助もこの映画に出ているんです。

紳助曰く夏目は「ものすごくいい人」と語っています。

夏目雅子さんは皆に好かれていますね。

凄い組み合わせ
ドラマスペシャル「瀬戸内少年野球団」主演の武井咲(駒子)役で(夫の正夫)役は三浦貴大が演じています。
(百恵の歌を否定した、阿久悠の小説に百恵の息子が出演することになるとは人生はわからないものです。)

1984年、夏目雅子は伊集院静と結婚

夏目雅子と伊集院静の馴れ初め

当時カネボウ化粧品の広告のモデルに起用された、夏目雅子19歳。

伊集院静はCMディレクター27歳でした。この時が最初の出会いで、これから付き合い始めたといいます。

結婚後は神奈川県鎌倉市由比ガ浜に在住。
媒酌人は行きつけの鎌倉長谷寺近くにある寿司店主夫妻で結婚式もこの寿司店で内輪だけで行われたそうです。
作家の伊集院静氏


作家の伊集院静氏

伊集院さんは「電通」の時に知り合った女性と結婚されていて、女の子がいるのですが1977年、27歳の時にCMでディレクターで、カネボウ化粧品「クッキーフェイスのCM
を担当した際にまだ無名のモデルだった夏目雅子さん(当時は小達雅子)をイメージキャラクターに起用するとこの化粧品は大ヒット。
そして、夏目雅子さんは一躍スターに駆け上ることになります。
そのあと二人は不倫関係に。
伊集院さんは2人目が出産前に家を出て1980年に離婚しています。
実はそのころ女優の桃井かおりさんとも関係を持っていて、夏目雅子と再婚するまで関係が続いていて、夏目雅子さんは桃井さんに伊集院さんを取られまいと結婚を決めたと言われています。
こんなに一途の恋が実って幸せな人生を送れていたら、どんなに良かったかと思う気持ちは著者だけではないと思います。

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1985年9月11日夏目雅子死去

ようやく結ばれた二人でしたが,1985年2月14日に舞台「愚かな女」公演中に10円玉ほどもある口内炎ができ、加えて激しい頭痛など極度の体調不良を訴えます。
最初は病院に行くのを拒みつ続けていましたが、共演の西岡徳間さんの勧めにより、2月15日、慶応義塾大学病院に行き、受診。
検査の結果は「急性骨髄性白血病」で、そのまま緊急入院。
夏目さん本人には「極度の貧血」とだと告げられて、本当の病気はふせられています。
夏目さんが入院すると、伊集院さんやお母さんは看病尽くしましたが、そのかいもなく夏目さんは27歳の若さでこの世を去られました。

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夏目雅子の全盛期はいつだったのか考察してみた!

夏目雅子はテレビドラマ「愛が見えますか」18歳女優デビューしています。

のオーディションに500人の中から選ばれています。

しかし、役どころは盲目の少女。演技では相当苦労しています。

そのときに言われた言葉は「お嬢さん芸」と揶揄されて、その後おお引きます。

それが僅か9年という短い期間にどうやって乗り越えて、後に「昭和の女優は夏目雅子」とまで言われるようになったかをこの全盛期を見てひも解いてみたいと思います。

筆者は、夏目雅子の全盛期は1978年(19歳)~1980年(21歳)と1982年(23歳)~1983(24歳)の2回あったと思っているのですが、その理由を述べたいと思います。
①.1978年(19歳)~1980年(21歳)
【クッキーフェイスで“夏目雅子”ブレイク】
女優としてデビューしたものの注目されることはなかった雅子は、テレビCM「クッキーフェイス」のモデルに起用され、芸名も“夏目雅子”に変える。これが雅子の運命を変える。
健康的な笑顔と姿態が反響を呼び、瞬く間に時の人。

爆発てきに時の人に。
この写真は凄いインパクトがありました。

【“お嬢さま芸”の苦悩】
夏目雅子はテレビドラマ「西遊記」で三蔵法師役を演じ不動の人気を得る。

が、「自分が思う演技が出来なくて悲しい…」悩み続けていた。

「お嬢さま芸」「学芸会」と揶揄されていました。

雅子はANVドラマ「虹の冒険」・」NHKドラマ「ザ・商社」に出演。

初の汚れ役に挑戦。女優として変身を始める。

クッキーフェイス」美しい三蔵法師役これで大ブレイクでみなさんのハートをバッチリ掴んだのだと思います。

プロデューサーの久世光彦に推され、ドラマ『虹子の冒険』(テレビ朝日系列)のヒロインに抜擢される。これが初主演作品。

NHKの演出家だった和田勉によって『ザ・商』半身裸のヌードシーンでドラマで女優としての評価を高め、「お嬢さん女優」のイメージを覆すことに成功したのです。

この1978年(19歳)~1980年(21歳)まで見てきまして私はこの3年間が第1回目の全盛期だと思います。

②1982年(22歳)~1983年(24歳)

【女優として変身、映画「鬼龍院花子の生涯」】
1982年、24歳になった夏目雅子は東映「鬼龍院花子の生涯」(宮尾登美子原作)に出演。

土佐の侠客、鬼龍院政五郎の養女、松恵を演じ、迫真の演技が評価されブルーリボン賞主演女優賞を獲得。

雅子のセリフ「なめたらいかんぜよ!」が流行語となった。

夏目雅子の若い頃90枚1982年(23歳)鬼龍院花子の生涯


夏目雅子の若い頃90枚1982年(23歳)鬼龍院花子の生涯

この映画で夏目雅子は演技力のある女優と認知されたのです。

1983年は凄まじい1年です。「魚影の群れ」・「時代屋の女房」・「小説吉田学校」・「南極物語」が公開されています。

その中で「魚影の群れ」を撮影している時は同時に3か所で同時進行で撮っていたというからこれだけでの凄いことです。

【監督・相米慎二との闘い、映画「魚影の群れ」】
1982年夏目雅子は奇才と言われた相米慎二監督の映画「魚影の群れ」に出演。

相米慎二映画監督1948年~2001年(53歳)没


相米慎二映画監督1948年~2001年(53歳)没

まして、「魚影の群れ」の相米監督は一筋縄ではいかない人だという事です。

ワンカット、ワンシーン当たり前。ある時、メシを食っている所だけであさの8時から17時で同じ撮影だけ、納得いかなければ何も言わないで帰ってしまう。

そんな監督らしいです。

それを、土壇場で止めたのはプロデューサー宮島秀志です。

でも、そんな監督を体当たり演技で納得させたですから、夏目雅子は並みの女優ではありません。

あれだけ、新人女優を育てた、相米監督が、「夏目だけはもう一度撮りたかった」と言わしめています。

だから、夏目雅子のポテンシャルは半端ではなかったのです。

青森・大間のマグロの一本釣りの漁師の娘を演じた。

父親役の緒形拳が1ヶ月前から現地入りし役作りをする中、雅子は物おじせず体当たりで演技。

役者を褒めることのない相米監督をも納得させた。

1982年(23歳)~1983(24歳)この2年間で代2回目の全盛期だと思います。

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全盛期考察まとめ

芸能人生僅か9年しかありませんが、途中で、病気などで仕事はできませんから、7年位度と思います。
①1977(19歳)年から1980(21歳)年を見ると、CMの「クッキイフェイス」で爆発的に人気で時の人になります。
そしてテレビドラマ「西遊記」の三蔵法師役でその美し三蔵法師が美しと話題になり人気が不動になりました。
これが代一番目の全盛期です。
②1982年(23歳)から1983年(24歳)
この2年間は夏目雅子の集大成の年になりました。
鬼龍院花子の生涯を皮切りの、「時代屋の女房」「小説吉田学校」「南極物語」「魚影の群れ」共演者の俳優さん達もベテラン揃いです。
仲代達矢、岩下志麻、丹波哲郎、渡瀬恒彦、津川雅彦、森繫久彌、高倉健、緒形拳、佐藤浩二など、蒼々たるメンバーです。
こういう人たちと共演してもたじろがない夏目雅子の姿がそこにあったのです。
そして、これが2番目の全盛期です。
最初は、「お嬢さん芸」「学芸会」などと揶揄されて、人気が先に出て本人苦悩してきましたが、場数を踏んで持前の気力で乗り越えたのです。
美人であり、演技もあり、誰もが認める夏目雅子に成長したのです。
その人気は、没後38年たっても衰えてはいません。
夏目雅子の全盛期がいつだったのかの理由を説明しましたがいかがでしたか。

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夏目雅子のプロフィール

  • 名 前:夏目雅子(本名:西山雅子)旧姓小達
  • 生年月日: 1957年年 12月 17日
  • 身長: 164cm
  • 出身地:神奈川県横浜市中区
  • カテゴリ: 女優
  • デビュー:1976年日本テレビ・愛のサスペンス劇場「愛が見えますか」本命名義で女優でデビュー
  • 学 歴:東京女子短期大学中退
  • 家族: 夫(伊集院静)1984年~1985年
  • 血液型: B型
  • 干支(えと): 酉(とり)
  • 星座: いて座
  • 趣味:俳句
夏目雅子の家族
(父)・小達宗一 1932年~1979年(47歳)没
(母)・小達スエ 1933年~2008年(74歳)没
(兄)・小達一雄 1954年生まれ
不倫関係のすえ小達一雄さん(37歳)と田中好子さん(35歳)は1991年に結婚しています。
(義嫁)田中好子(スーちゃん) 1956年~2011年(55歳)没

田中好子さんを兄の小達一雄さんに紹介したのが夏目雅子さんと言うのが驚きです。

田中好子さんは初婚でしたが小達一雄さんは再々婚です。

お互い好きになったら止まらなかったのでしょうか。

田中好子さんは1992年に乳がんが発覚、その後は治療を続けながら芸能活動を続けていましたが2011年4月21日に死去されています。

享年55歳。

(弟)・小達敏昭(プロゴルファー) 1968年生まれ
(姪)・風間柚乃(宝塚男役スター)未定
(姪)・盾由美子(女優・歌手)1988年3月1日生まれ
小達一雄さん前妻の間に一人娘がそれが楯真理子さんです。

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まとめ

夏目雅子は不治の病といわれる「急性骨髄性白血病」と診断され、約7カ月の闘病生活を夫の伊集院静や母親の看病にあたりましたが、最後の死因は抗ガン剤の副作用が原因とみられる肺炎といわれています。
夏目雅子は1985年(昭和60年)9月11日に亡くなりました。
昭和の微笑・伝説の微笑とも言われ欲しくも(27歳)という短い人生でしたが、その生涯は私たちの脳裡から忘れることはないと思います。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
最後までご覧いただき有難うございました。

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