【画像99枚】夏目雅子:昭和の微笑と言われた若い頃がどれだけ凄ったかを出演作から考察してみた!

夏目雅子 エンタメ

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1985年9月11日夏目雅子死去

ようやく結ばれた二人でしたが,1985年2月14日に舞台「愚かな女」公演中に10円玉ほどもある口内炎ができ、加えて激しい頭痛など極度の体調不良を訴えます。
夏目雅子の若い頃画像85枚1985年(27歳)西武劇場「愚かな女」」

夏目雅子の若い頃画像85枚1985年(27歳)西武劇場「愚かな女」」

最初は病院に行くのを拒みつ続けていましたが、共演の西岡徳間さんの勧めにより、2月15日、慶応義塾大学病院に行き、受診。
検査の結果は「急性骨髄性白血病」で、そのまま緊急入院。
夏目さん本人には「極度の貧血」とだと告げられて、本当の病気はふせられています。
夏目さんが入院すると、伊集院さんやお母さんは看病尽くしましたが、そのかいもなく夏目さんは27歳の若さでこの世を去られました。
夏目雅子の若い頃画像86枚(23歳)

夏目雅子の若い頃画像86枚(23歳)

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夏目雅子の全盛期はいつだったのか考察してみた!

夏目雅子はテレビドラマ「愛が見えますか」18歳女優デビューしています。

のオーディションに500人の中から選ばれています。

しかし、役どころは盲目の少女。演技では相当苦労しています。

そのときに言われた言葉は「お嬢さん芸」と揶揄されて、その後おお引きます。

それが僅か9年という短い期間にどうやって乗り越えて、後に「昭和の女優は夏目雅子」とまで言われるようになったかをこの全盛期を見てひも解いてみたいと思います。

筆者は、夏目雅子の全盛期は1978年(19歳)~1980年(21歳)と1982年(23歳)~1983(24歳)の2回あったと思っているのですが、その理由を述べたいと思います。
①.1978年(19歳)~1980年(21歳)
【クッキーフェイスで“夏目雅子”ブレイク】
女優としてデビューしたものの注目されることはなかった雅子は、テレビCM「クッキーフェイス」のモデルに起用され、芸名も“夏目雅子”に変える。これが雅子の運命を変える。
健康的な笑顔と姿態が反響を呼び、瞬く間に時の人。

爆発てきに時の人に。
夏目雅子の若い頃87枚1978年(19歳)チュニジア

夏目雅子の若い頃87枚1978年(19歳)チュニジア

この写真は凄いインパクトがありました。

【“お嬢さま芸”の苦悩】
夏目雅子はテレビドラマ「西遊記」で三蔵法師役を演じ不動の人気を得る。

が、「自分が思う演技が出来なくて悲しい…」悩み続けていた。

「お嬢さま芸」「学芸会」と揶揄されていました。

雅子はANVドラマ「虹の冒険」・」NHKドラマ「ザ・商社」に出演。

初の汚れ役に挑戦。女優として変身を始める。

夏目雅子の若い頃88枚1978年(19歳)三蔵法師役

夏目雅子の若い頃88枚1978年(19歳)三蔵法師役

こんなお坊さんがいたら誰でも弟子になるでしょうね。
夏目雅子の若い頃89枚1980年(21歳)ザ・商社

夏目雅子の若い頃89枚1980年(21歳)ザ・商社

クッキーフェイス」美しい三蔵法師役これで大ブレイクでみなさんのハートをバッチリ掴んだのだと思います。

プロデューサーの久世光彦に推され、ドラマ『虹子の冒険』(テレビ朝日系列)のヒロインに抜擢される。これが初主演作品。

NHKの演出家だった和田勉によって『ザ・商』半身裸のヌードシーンでドラマで女優としての評価を高め、「お嬢さん女優」のイメージを覆すことに成功したのです。

この1978年(19歳)~1980年(21歳)まで見てきまして私はこの3年間が第1回目の全盛期だと思います。

②1982年(22歳)~1983年(24歳)

【女優として変身、映画「鬼龍院花子の生涯」】
1982年、24歳になった夏目雅子は東映「鬼龍院花子の生涯」(宮尾登美子原作)に出演。

土佐の侠客、鬼龍院政五郎の養女、松恵を演じ、迫真の演技が評価されブルーリボン賞主演女優賞を獲得。

雅子のセリフ「なめたらいかんぜよ!」が流行語となった。

夏目雅子の若い頃90枚1982年(23歳)鬼龍院花子の生涯

夏目雅子の若い頃90枚1982年(23歳)鬼龍院花子の生涯

この映画で夏目雅子は演技力のある女優と認知されたのです。

1983年は凄まじい1年です。「魚影の群れ」・「時代屋の女房」・「小説吉田学校」・「南極物語」が公開されています。

その中で「魚影の群れ」を撮影している時は同時に3か所で同時進行で撮っていたというからこれだけでの凄いことです。

【監督・相米慎二との闘い、映画「魚影の群れ」】
1982年夏目雅子は奇才と言われた相米慎二監督の映画「魚影の群れ」に出演。

相米慎二映画監督1948年~2001年(53歳)没

相米慎二映画監督1948年~2001年(53歳)没

まして、「魚影の群れ」の相米監督は一筋縄ではいかない人だという事です。

ワンカット、ワンシーン当たり前。ある時、メシを食っている所だけであさの8時から17時で同じ撮影だけ、納得いかなければ何も言わないで帰ってしまう。

そんな監督らしいです。

緒形拳俳優1937年~2008年(71歳)没

緒形拳俳優1937年~2008年(71歳)没

緒形拳はひと月前から現地入り、筋金入り
夏目雅子の若い頃91枚1983年(24歳)魚影の群れ

夏目雅子の若い頃91枚1983年(24歳)魚影の群れ

実は、緒形拳さんと佐藤浩市は相米監督会わなくて、東京に帰ろうとした。
宮島秀司映画プロディーサー1954年生まれ

宮島秀司映画プロディーサー1954年生まれ

それを、土壇場で止めたのはプロデューサー宮島秀志です。

でも、そんな監督を体当たり演技で納得させたですから、夏目雅子は並みの女優ではありません。

あれだけ、新人女優を育てた、相米監督が、「夏目だけはもう一度撮りたかった」と言わしめています。

だから、夏目雅子のポテンシャルは半端ではなかったのです。

夏目雅子の若い頃92枚1983年(24歳)魚影の群れ

夏目雅子の若い頃92枚1983年(24歳)魚影の群れ

夏目雅子の若い頃93枚1983年(24歳)魚影の群れ

夏目雅子の若い頃93枚1983年(24歳)魚影の群れ

青森・大間のマグロの一本釣りの漁師の娘を演じた。

父親役の緒形拳が1ヶ月前から現地入りし役作りをする中、雅子は物おじせず体当たりで演技。

役者を褒めることのない相米監督をも納得させた。

夏目雅子の若い頃94枚1983年(24歳)魚影の群れ

夏目雅子の若い頃94枚1983年(24歳)魚影の群れ

体当たりの演技で相米監督を納得させた夏目雅子
1982年(23歳)~1983(24歳)この2年間で代2回目の全盛期だと思います。

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全盛期考察まとめ

芸能人生僅か9年しかありませんが、途中で、病気などで仕事はできませんから、7年位度と思います。
①1977(19歳)年から1980(21歳)年を見ると、CMの「クッキイフェイス」で爆発的に人気で時の人になります。
そしてテレビドラマ「西遊記」の三蔵法師役でその美し三蔵法師が美しと話題になり人気が不動になりました。
これが代一番目の全盛期です。
②1982年(23歳)から1983年(24歳)
この2年間は夏目雅子の集大成の年になりました。
鬼龍院花子の生涯を皮切りの、「時代屋の女房」「小説吉田学校」「南極物語」「魚影の群れ」共演者の俳優さん達もベテラン揃いです。
仲代達矢、岩下志麻、丹波哲郎、渡瀬恒彦、津川雅彦、森繫久彌、高倉健、緒形拳、佐藤浩二など、蒼々たるメンバーです。
こういう人たちと共演してもたじろがない夏目雅子の姿がそこにあったのです。
そして、これが2番目の全盛期です。
最初は、「お嬢さん芸」「学芸会」などと揶揄されて、人気が先に出て本人苦悩してきましたが、場数を踏んで持前の気力で乗り越えたのです。
美人であり、演技もあり、誰もが認める夏目雅子に成長したのです。
その人気は、没後38年たっても衰えてはいません。
夏目雅子の若い頃画像95枚1984年(27歳)

夏目雅子の若い頃画像95枚1984年(27歳)

昭和女優と言えば必ず夏目雅子の名前がでますね。「昭和の女優」、「昭和の微笑
夏目雅子の全盛期がいつだったのかの理由を説明しましたがいかがでしたか。
夏目雅子の若い頃画像96枚(19歳~27歳)

夏目雅子の若い頃画像96枚(19歳~27歳)

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夏目雅子のプロフィール

  • 名 前:夏目雅子(本名:西山雅子)旧姓小達
  • 生年月日: 1957年年 12月 17日
  • 身長: 164cm
  • 出身地:神奈川県横浜市中区
  • カテゴリ: 女優
  • デビュー:1976年日本テレビ・愛のサスペンス劇場「愛が見えますか」本命名義で女優でデビュー
  • 学 歴:東京女子短期大学中退
  • 家族: 夫(伊集院静)1984年~1985年
  • 血液型: B型
  • 干支(えと): 酉(とり)
  • 星座: いて座
  • 趣味:俳句
夏目雅子の家族
(父)・小達宗一 1932年~1979年(47歳)没
(母)・小達スエ 1933年~2008年(74歳)没
夏目雅子の若い頃画像97枚(おかあさんといっしょに)

夏目雅子の若い頃画像97枚(おかあさんといっしょ)

夏目雅子の若い頃画像98枚(おかあさんといっしょに)

夏目雅子の若い頃画像98枚(おかあさんといっしょ)

(兄)・小達一雄 1954年生まれ
(兄)・小達一雄

(兄)・小達一雄

不倫関係のすえ小達一雄さん(37歳)と田中好子さん(35歳)は1991年に結婚しています。
(義嫁)田中好子(スーちゃん) 1956年~2011年(55歳)没
(義嫁)田中好子(スーちゃん)

(義嫁)田中好子(スーちゃん)

田中好子さんを兄の小達一雄さんに紹介したのが夏目雅子さんと言うのが驚きです。

田中好子さんは初婚でしたが小達一雄さんは再々婚です。

お互い好きになったら止まらなかったのでしょうか。

田中好子さんは1992年に乳がんが発覚、その後は治療を続けながら芸能活動を続けていましたが2011年4月21日に死去されています。

享年55歳。

(弟)・小達敏昭(プロゴルファー) 1968年生まれ
(弟)・小達敏昭(プロゴルファー)

(弟)・小達敏昭(プロゴルファー)

(姪)・風間柚乃(宝塚男役スター)未定
(姪)・風間柚乃(宝塚男役スター)

(姪)・風間柚乃(宝塚男役スター)

(姪)・盾由美子(女優・歌手)1988年3月1日生まれ
小達一雄さん前妻の間に一人娘がそれが楯真理子さんです。
(姪)・盾由美子(女優・歌手)

姪)・盾由美子(女優・歌手)

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まとめ

夏目雅子は不治の病といわれる「急性骨髄性白血病」と診断され、約7カ月の闘病生活を夫の伊集院静や母親の看病にあたりましたが、最後の死因は抗ガン剤の副作用が原因とみられる肺炎といわれています。
夏目雅子は1985年(昭和60年)9月11日に亡くなりました。
昭和の微笑・伝説の微笑とも言われ欲しくも(27歳)という短い人生でしたが、その生涯は私たちの脳裡から忘れることはないと思います。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
夏目雅子の若い頃画像99枚

夏目雅子の若い頃画像99枚

最後までご覧いただき有難うございました。

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