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上沼恵美子さんと言えば、若い頃は漫才姉妹で「海原千里・万里」で一時代を博していたのです。
そのころ関東では歌手の天地真理さん「白雪姫」と異名を取っていました。
上沼恵美子さんも天地真理さんになぞって「漫才界の白雪姫」と言われるほど、人気になっています。
1975年には姉と共に「海原千里・万里」で歌手デビューして40枚万枚ものヒットしています。
そんな上沼恵美子さんの本名、芸名・韓国人説について調べてみたいと思います。
- 上沼恵美子の本名は
- 上沼恵美子の最初の姉妹コンビの芸名は(海原千里・万里)ではない
- 上沼恵美子韓国籍・韓国人説って本当?
- プロフィール
- まとめ
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上沼恵美子の本名は
上沼恵美子さんの本名は橋本恵美子と言います。
兵庫県三原郡福良町(現・南あわじ市)出身。
小学校:南淡町立福良小学校
上沼恵美子さんは父に連れられて、よくのど自慢大会出場していた のど自慢のどの会場でよく顔を合わせたのは、天童よしみがいた。(父はよくよしみちゃんの顔を見るとアカンよしみちゃんがきている)となげいていた。11歳のとき、子どものど自慢の最高峰『日清ちびっこのどじまん』でも、上沼を退け天童がグランドチャンピオンに輝いた。
「そのとき、恵美子さんは手を叩いて祝福してくれて、すごくデキた人だなと思っていました。ずっと後になって、“あのとき、悔しくなかったの?”って恵美子さんに聞いたら、“首絞めたくなるぐらい悔しかった”って。“でもね、よしみちゃんには絞める首がなかった”って(笑)」
天童よしみさんはこのようなコメントをのこしています。。
中学校:南淡町立福良中学校
高校:帝国女子高等学校大和田校中退。(現:大阪国際大和田高等学校)
実家は焼き肉店を経営していて、父親は銀行員されていました。
1955年4月13日 3人兄弟の末っ子で6歳年上姉と2歳年下の兄がいます。
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上沼恵美子の最初の姉妹芸名は(海原千里・万里)ではない
最初の芸名は(海原千里・万里)じゃない。
海原お浜・海原小浜一門に弟子入りしたのです。
海原一門に入り厳しく育てられたといいます。
急遽姉妹漫才コンビとしてデビューした当時に付けられた名前は、(海原なると・わかめ)だったのです。
個人的には、「なると・わかめ」じゃなくて良かったです。
上沼恵美子さんの父親は銀行員を務めていましたが、演芸が好きだった影響から(父もかつては芸人になりたかったとのこと)、幼少期から演芸や歌を見たり聞いたりしていていた。
姉は浄瑠璃の物まね、自身は美空ひばりの物まねをしていた。
上沼恵美子さんと天童よしみさんの二人はのど「自慢あらし」と呼ばれていた。
フジテレビ系「日清ちびっこのどじまん」で。同じ番組に天童よしみさんが参加しており、当時から交流が続いていると言います。
恵美子は元々歌手志望だったが、「(父には歌手になったら絶対にあかん。顔もあかん、歌唱力も(天童よしみ)ちゃんくらいうまかったらな」と言われていた。
お父さんからぼろくそに言われていたんですね。とてもお父さんの言う言葉とはおもえません。
のど自慢に出ると、いつも優勝するのは毎回天童よしみさんで、上沼さんは準優勝だったといいますから、歌の才能は二人とも当時から抜群だったことが伺われます。
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漫才界の大御所も認める匠の話術
姉の方が漫才コンビでデビューすることになってっていたが、姉の相手方が疾走したため、父から「お前いけ」と言われ姉と漫才コンビを組むとになり、1966年の春、中学2年生になる前の春休みの頃に大須演芸場の舞台に立っていた。
中学卒業後は1971年に姉妹漫才コンビ「海原千里(恵美子)・万里(百々子)」で(海原お浜・小浜・女師匠さん)に入りデビューしています。
同年、上方お笑い大賞銀賞を受賞しています。高校生ながら、匠みな話術で一躍スターになり、当時人気アイドルで白雪姫と称されていた、天地真理に倣い「漫才界の白雪姫」と呼ばれていました。
1973年NHK漫才コンテスト優秀敢闘賞を受賞し、また同年に歌手でデビューもしています。当時、北島三郎のコンサートの前座を務めた際、北島に歌唱力を認められ、北島の下で歌手への転向を勧められたが断ったと言うエピソードがあります。
1975年にレコード「大阪ラプソディー」が40万枚の売り上げて大ヒットしています。
漫才界にデビューしてからの活躍で飛び鳥の勢いで、さらに「大阪ラプソディー」で歌でも頂点を極めているので、本当に凄いことだと思います。
「海原千里・万里」の漫才は、ビートたけしさん、「あの時代に、女であの漫才はすごかった。おれなんかより先輩。だから上沼恵美子さんと、さんをつけている」
島田紳助さんは、「海原千里・万里」の漫才を参考にネタを作っている位、尊敬していた。
爆笑問題の太田光さんは「手出さないで最後まで、話で通すことが凄いと認めている。」
この人たちが認めていることは、どれでけ凄いかわかりますね。
上沼真平と上沼恵美子結婚
上沼真平と上沼恵美子の馴れ初めは
1975年20歳の時関西テレビ「日曜ドキドキパンチ」の時に土井局ディレクターの上村真平と出会い、1977年5月22日に結婚されています
2023年9月21日放送の日本テレビ系「ぐるぐるナインティナイン2時間SP」(後7・00)にゲスト出演し、新婚時代の苦労について語った。
「好きで、好きで死ぬほど好きで結婚してもらったと」話されています。
大阪プラザホテルで結婚式を挙げています。
そして、上沼恵美子となっています。
上沼真平さんは、8歳年上で親戚・親類全員が反対する状況での結婚と言われていました。
新婚旅行は、ラスベカスからハワイ・カウアイ島に渡る旅行だったといいます。
新婚旅行から帰ってきて、姑さんと三人で18坪の一軒家で暮らし始めて、甘い新婚生活は姑とのバトルで無残にも砕けれたと語っています。
上沼真平さんと恵美子さんの結婚式は、恵美子さんの親族が全員反対でしたから、結婚式には出席されたのかな、情報がないので分かりません。
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上沼恵美子は韓国籍で韓国人って本当?
平成7年に始まった朝日放送の「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」の20周年を記念した特別番組(29日放送)で、上沼さんと番組に出演している辻調理師専門学校の講師陣によるロケが11月25日に行われた。
上沼恵恵美子さんは兵庫県淡路島南あわじし市福良町出身です。
お父さんは、銀行員です。1978年12月55歳でなくなっています。
お母さんは焼肉屋(ホルモン焼き)を経営されていました。2015年12月
に90歳で亡くなられています。
お父さんも、お母さんの淡路島出身なので、上沼恵美子さんが韓国人という噂があったようですが、デマのようです。
上沼恵美子さんは日本国籍で純粋のに日本人です。
歌手、タレント、司会者、元漫才師など幅広く長年活躍されている上沼恵美子さん。YouTubeチャンネルも始めてバラエティ番組でひっぱりだこの人気になっています。
そんな上沼恵美子さんが韓国人ぽいって一部のひとたちの間で話題になったということのようです。
韓国の世界的大ヒット作となった映画『パラサイト』、ドラマ『愛の不時着』などに出演し、存在感あふれる圧巻の演技で注目されている女優チャンへジンさん。
上沼恵美子さんが韓国の女優さんに雰囲気が似ているから、噂になったともいえるかもしれません。
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プロフィール
- 本名:上沼恵美子(旧姓:橋本)
- 父親:銀行員1978年12月(55歳死去)
- 母親:焼肉屋経営(ホルモン焼き)2015年12月(90歳死去)
- 長女:6歳年上(元芸人でコンビの海原万里(実姉:芦川百々子)
- 長男:2歳年上で一般の方です
- 生年月日:1955年4月13日
- 出身地:兵庫県身三原郡福良町(現・南あわじ市)
- 身長:164cm
- 体重:59kg(推定)
- 血液型:O型
- 星座:牡牛座
- 学歴:大阪市立帝国女子高等学校中退
- 家族:夫(上沼真平)元関西テレビ常務取締役制作局長、メディアプルポ代表取締役会長。
- 長男:上岡静太郎(上沼事務所)
- 次男:ゆじぇーろ放送作家
- 趣味:わかりません
- 職業:芸人・歌手・タレント・司会・youtuber
- 師匠:海原お浜
- デビュー:「海原千里・万里」姉妹漫才で1971年デビュー
- 活動期間:1971年~1977年
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上沼恵美子さんの家族
旦那さんの真平さんは、現在、仕事はしないで、趣味のゴルフを楽しんでいるようです。
今は、距離を置いて生活しているけど、離婚はしないときっぱり言っています。
やはり好きで好きで、結婚した相手だから、原点に戻ったとのだ思います。
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長男は20回のお見合いの経験も
清太郎さんは37歳の時です。
そして2016年の年明けにハワイで挙式を挙げています。でも翌月お2月には離婚になっています。
奥さんは帰りの飛行機の中で離婚を周囲に漏らしていいたと言います。
長男夫妻の離婚理由は
女性セブンでは
嫁姑問題です。嫁と上沼さんがとにかく合わなかったみたいでね…。上沼さんは芸能界が長いから、気配りや礼儀作法にはうるさいんです。でも嫁は若干のんびりした所があって、さっそくハワイでもぶつかったんだとか。上沼さん、長男夫婦にあたっては結納金から結婚式費用、新居の支度金までかなりのお金を用立てたという話も。離婚については『どないもこないもあるか! あの嫁は金目当てだったんか!』と怒髪天を突く勢いでした
と報じています。
奥さんは帰りの飛行機の中で離婚を周囲に漏らしていいたと言いますから、嫁と姑(恵美子さん)との考えが会わなかったじゃないかと言われています。
正論は正しいと思いますが、育った環境も違いますので、押し付けの教育は反発を招くだけのような気がします。姑と嫁の問題は昔も今も変わらないと思います。
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次男裕次郎さんは構成作家
次男の裕次郎さん、(ゆじぇーろ)は上沼恵美子さん「怪傑えみちゃんねる」で構成作家をされているよるようです。
裕次郎さんは長男の清太郎さんが結婚したひと月後に結婚されています。裕次郎んさんの奥さんは美人さんと言われ、義母の恵美子さんとの仲良好だという事です。
2018年6月8日の「怪傑えみちゃんねる」で、上沼恵美子さんは語っています。
息子2人は実家に寄り付かなく、「何の角煮も立たん」と発がんしましたが、「嫁さんは可愛い」とも言っています。
次男の嫁さんとは仲が良い事のようですので、一安心だと思います。
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まとめ
上沼恵美子さんは、中学生時代から、漫才、歌手、タレントとその分野で頂点をきずいてきています。
上沼恵美子さんは本名は上沼恵美子さんで旧姓が橋本恵美子さんです。
芸名も最初は「海原千里・万里」ではなく「海原なると・わかめ」でした。
そして、上沼恵美子さんは、兵庫県淡路島出身の純粋な日本人です。その顔と雰囲気が韓国人に似ている所から噂になったと思います。
長男の清太郎さんが2カ月でスピード離婚された、原因が、上沼恵美子さんのようでして、遠慮のない、話し方がお嫁さんとは上手くいかなかったようです。でも次男の嫁さんとは良好の関係を築かれていることのようですのでなによりです。
現在は、youtubeチャネルでも活躍しているようで、巧みの話術が見ている人に共感が得ていると思います。上沼さんはどの分野でも成功できて、本当に凄い方なんだと改めて思いました。
これからも活躍を楽しみにしています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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