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1983年(31歳)の松坂慶子
東映映画「人生劇場」に出演。
松坂慶子はこの年に人生劇場に出演されています。
人生劇場は過去三回上映されているそうです。
今回は3人の監督がそれぞれしています。
深作欣二が「愛慾篇」、佐藤純彌が「青春篇」、中島貞夫が「残侠篇」をそれぞれ担当しています。
松坂慶子(お袖)、中井貴恵(おとよ)、森下愛子(照代)の三人の熱演が光っています。
永島敏行(瓢吉)それと若山富三郎(常)と松方弘樹(飛車角)の演技が見逃せないです。
三船敏郎(青成瓢太郎) の抜群の存在感は凄いです。
この映画でもいつ見ても松坂慶子さんは美しくいい女でいつまでも見ていたい気持ちに気持ちにさせられます。
松方弘樹さんと中井貴恵さんの濡れ場シーンも見せ場で中井さんの美しい姿が見えていいです。
吉田拓郎さんの奥さんになる森下愛子さんの熱演もいいです。
若い時はモデルとしても活躍して抜群のルックスでアイドル級に人気を博していたと言われたいます。
この「人生劇場」は、松坂慶子さん、中井貴恵さん森下愛子さんの三人のそれぞれの熱演が見ものですし女性の美しさがあって素晴らしいです。
松坂さんの演技は女優としての貫禄がありました。
その中で、若山富三郎さんの存在感がこの物語には欠かせない役で見ごたえがあります。
- 人生劇場(1983年、東映)
- 迷走地図(1983年、松竹)
- 里見八犬伝(1983年、角川春樹事務所)
- 水戸黄門 (TBS) 第13部第12話「伊勢参り 娘初春七変化 -伊勢-」(1983年) -お京
- 水戸黄門 (TBS)第14部 第2話「悪を斬る! 白狐の剣 -郡山-」(1983年) – おその
- 大岡越前 (TBS)第7部 第4話「義賊あざみ小僧」(1983年) – お葉
- ザ・サスペンス 一千万人の中の孤独(1983年4月30日、TBS)主演
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1984年(32歳)の松坂慶子
- 化粧(1984年、松竹)
- 上海バンスキング(1984年、松竹)
- ねずみ小僧怪盗伝(1984年、松竹)
- 流れ星佐吉 第1話「佐吉が出会った大美人」(1984年4月3日、関西テレビ)
- ふたりぼっち(1984年6月13日 – 8月1日、フジテレビ) – 主演
松竹映画「上海バンスキング」に出演。
映画「上海バンスキング」」は深作欣二監督が「鎌田行進曲」のメンバー、松坂慶子、風間杜夫、平田満、と志穂美悦子、宇崎竜童、夏木勇など、集めて、上海を舞台に音楽劇です。
上海を舞台に、ジャズに生き、死んでいった「バンスキング」たちの自由奔放な青春を描いた作品です。
日本のロケの様子を中国の人達が沢山集まっている様子が伺えます。
松坂慶子さんが綺麗だから集まって見ているんでしょうと思います。
著者も上海には何回か言ったことがありますが、魅力ある都市です。
キャスト
クラリネット奏者のシローは、妻であるマドカと共に上海にやって来ます。
軍国主義が広まりつつある日本を離れ、ジャズを自由に演奏できる上海に行くために、シローは妻をパリに行くとだまして連れてきたのです。
上海で、出迎えてくれたのは、、トランペット奏者のバクマツ(宇崎竜童)です。
ラリーの愛人である中国人ダンサー・リリー(志穂美悦子)と恋仲になっていた。
ラリーは怒り、バクマツの指を斬るという。
何とか助けるため「セントラル」働く条件で許してもらい、シヨーを続けることにまります。
松坂慶子と志穂美悦子二人は踊って歌うパホーマンスを繰り広げています。
志穂美悦子のアクションで鍛えたダンスと松坂慶子の歌とダンスも見ものです。
松坂さんは当時はスタイルがいいから、志穂美悦子とダンスしてても見劣りはしませんね。
でも、志穂美悦子の肩の張り方から鍛えていることがわかります。
その若者たちをモデルにして上海バンス(前借りしても夢を叶えたい)とキングとなずけたと思います。
著者も何回か上海に行きましたが、外灘は昔の面影が残っています。
100年前の上海は「東洋のウォール街」と呼ばれ、西洋建築群のビルが並んでいて、昔の面影も残っていますから、一度は訪ねてみたいところです。
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1985年(33歳)の松坂慶子
大河ドラマ (NHK)春の波涛に出演。
川上 貞奴 (1871~1946) 日本の女優第1号。
本名 小山貞。
売れっ子芸者になって「奴」とよばれるようになっています。
貞奴は時の総理「福沢諭吉」に贔屓にされており、また音二郎の福沢諭吉と面識があり二人の仲人は当時福沢の三羽ガラスと言われた、金子金太郎が仲人しています。
夫の7回忌を経て女優を引退しています。「日本の近代女優第一号」として舞台から退いたのです。
川上貞奴、名古屋に居を構え、旧知の仲である福沢桃介の事業パートナーとして輸出向け最上級の絹を生産販売する「川上絹布株式会社」を設立。
- 大河ドラマ (NHK)春の波涛(1985年) – 川上貞奴
- 花道は炎のごとく(1985年)
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1986年(34歳)の松坂慶子
そのほか原田美恵子、いしだあゆみさんも、私の好きな女優さんたちが出演されてうれしいです。
- 火宅の人(1986年、東映)
- 必殺! III 裏か表か(1986年、松竹)
- 波光きらめく果て(1986年、松竹)
- 水曜ドラマスペシャル 椿探偵奮闘シリーズ 天女の涙(1986年10月1日、TBS)
松竹映画「火宅の人」に主演。
作家の檀一雄原作の長編小説「火宅の人」に主演。
この「火宅の人」には檀一夫の娘、檀ふみさんも出演されています。
他に原田美恵子さん、いしだあゆみさんが出演して、熱演されています。
キャスト
- 桂一雄:緒形拳、幼少期:伊勢将人
- ヨリ子:いしだあゆみ
- 矢島恵子:原田美枝子
- 葉子:松坂慶子
- 桂一雄の母:檀ふみ
檀ふみさんは、桂一夫の母役で出演しています。
この母親が若い男と逃げてしまう役です。
それにしても、しっとりとした、檀ふみさんの表情が綺麗です。
いしだあゆみは、一夫(緒形拳)の妻(ヨリ子役)で5人の子持ちで一人は障がい者がいる。
そのヨリ子は怪しい宗教に取りつかれていて、夫、一夫の行動が分かると言う。
怪しい宗教に取りつかれた、ヨリ子と一夫のやり取りが、一番面白かったです。
いしだあゆみが宗教に取りつかれた表情の演技で緒形拳に迫る、それに終える緒形拳の演技もまた面白いさすが役者という感じでよかったです。
原田美枝子は、新劇の女優役(恵子役)ですが、一夫の愛人になります。
妻ヨリ子にはバレバレですが、一緒に住むことになります。
最終的には喧嘩別れになってしまいます。
原田美枝子の若々しい演技と濡れ場シーンでの見事のボデイが素晴らしいです。
松坂慶子さんはこの映画でも、緒形拳さんと、大胆濡れ場シーンをしています。
見事なスタイルはいつ見てもいいです。
やはり綺麗な松坂慶子さんは人気があるのが分かります。
それにしても緒形拳さんは二人の綺麗な女優さんと熱演されるとは羨ましい限りです。
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1987年(35歳)の松坂慶子
松竹映画「女咲かせます」主演。
監督:森崎東
結城昌治原作「白昼堂々」の映画化で美女泥棒のデパート襲撃事件と恋の転末を描いています。
ストーリーは、ある日同じ下宿屋に住むチェロ引き貧乏音楽家・三枝高志(役所広司)に恋をし、そろそろ足を洗う気になったのです。
そのために彼に楽器を送ってやりたくて、仲間を集めてデパートの売上金強奪を企てる。
キャスト
- 松坂慶子(石山豊代)
- 役所広司(三枝高志)
- 川谷拓三(大耳精十郎)
- 名古屋章(富田銀三)
- 田中邦衛(ワタ勝)
- 平田満(タケさん)など
田中邦衛と草野大吾、梅津栄のコンビネーションが素晴らしい。そこに綺麗な松坂慶子が加わるとは面白いです。
松坂慶子の画像103枚1987年(35歳)名古屋章1930年~2003年(73歳没)昔の仲間だった銀三に協力してくれないかと、お願いする。
今は警備会社の幹部になっている(名古屋章)に鍵を開け解くように頼む。
そんな中で、高志(役所広司)の恋心を抱いて、結婚することを願っている豊代(松坂慶子。
この映画では等身大の化粧していない素顔の綺麗な松坂慶子がいいですよ。
豊代に恋心を抱いている刑事精二郎(川谷拓三)が逃げろと言うのですが、自ら自首したのです。
この映画はコミカルで見ていて本当に楽しいです。
田中邦衛さんはこういう映画には欠かせないと思いますが、名古屋章さんと川谷拓三さんが味があってよかったと思います。
松坂慶子の厚化粧じゃないこういう雰囲気の感じがの方が著者としては好みです。
若い時は薄化粧がいいと思います。
余談ですが、川谷拓三さんは若い時すぐ側でみました。
まだ、駆け出しの時だったと思いますが、白のTシャツ姿がカッコ良かったことを覚えています。
- 自由な女神たち(1987年、松竹)
- 女咲かせます(1987年、松竹)
- 休暇は終った(1987年11月29日) – 主演
- 新春特別企画ドラマ「太閤記」(1987年1月1日、TBS) – 主演
- セゾンスペシャル サーカス村裏通り(1987年6月12日、TBS) – 主演
- 24時間テレビスペシャルドラマ「長らえしとき」(1987年8月22日、日本テレビ) – 主演
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1988年(36歳)の松坂慶子
松竹映画「椿姫」出演。
映画「椿姫」松坂慶子と加藤紘一が主演しています。
「椿姫」はヴェルディオペラの名作をモチーフして作られています。
実在したマリー・デュプレシをモデルにしています。
高級娼婦、結核で23歳の若さで亡くなっています。
こんな若さで亡くなるなんて痛ましいい人生なんでしょうと思います。本当に可愛そうだと思います。
監督:朝間義隆
脚本:山田洋次・朝間義隆
キャスト
松坂慶子(小雪)
加藤健一(各二郎)
すまけい(福次郎)
秋吉満ちる(美紀)
秋山美恵子(智恵子)
今回松坂慶子さんが演じる主人公はまさにこの人だという事です。
幸いこの物語では最後は幸せな人生で描かれているのがいいです。
北海道釧路を舞台にオペラ好きのタクシー運転手と幸薄い芸者の恋物語。
ある日客としてオペラ歌手の水原智絵子と弟子の美紀を乗せた。
格次郎が熱狂的なオペラ・ファンだったことから話がはずみ、彼の恋の回想録から始まる。
格次郎は4年前、タクシー忘年会で芸者の小雪と会った。
二次会の時小雪はオペラの「乾杯の歌を、オペラ歌手並みの美声で歌い上げて格次郎を驚かせた。
小雪はオペラを習ったことがあると言い、格次郎と意気投合した。
格次郎は2年前に離婚して、二人の子供を育てている。
兄の福太郎から再婚をせがまれている。
格次郎は小雪の事が忘れられない。
ある時、札幌で、小雪とパトロン風の二人連れを載せた。
小雪は格次郎と気ずいていないで口論している。
そして停車して男は先に降りて、料金を払う時に、運転者が格次郎と気随て、車を発車するように催促して発車してしまう。
加藤健一と松坂慶子の二人で寄り添う雰囲気もいいです。
何年かして小雪が店を開いたと聞き訪ねた、そこにはいつも通りの小雪の姿が会って再会したが、いまいち元気がないように感じた。
そして、オペラ「椿姫」の公演があり兼ねてから二人で見ようと、チケットをもって店を訪ねたが、いなかった。
従業員の女の子に渡してほしいとチケットを置いて帰ってきた。
そして、当日会場の席で待っていたが、来たのは、店の女の子だった。
聞いてみると小雪は結核で入院していると言い、どこの病院だと聞いて登別だと言う。
オペラが始まろうとしていたが、真っ先に病院に向かったのです。
病院にいたのは痩せている小雪でした。
そして懸命の看病して、小雪は回復して、格次郎と結ばれて、子供たちと元気に暮らしています。
実際の「椿姫」のモデルになった人は23歳の若さで他界しましたが、そこは山田洋二さんは日本風にめでたく回復して二人は結ばれるストーリに安堵しました。
やはり山田洋二なんの弟子の朝間義隆監督は寅さん風の流れまとめているので、終わりも良かったです。
東映映画「華の乱」で松坂慶子・吉永小百合共演。
この「花の乱」は吉永小百合が主演です。
二度の離婚、美容整形とその後遺症に苦しめられながらの名演、島村抱月とのスキャンダル、日本初の歌う女優としてのヒット曲と発禁騒動、そして抱月死後の後追い自殺と、その波乱の短い生涯は多くの小説や映画、テレビドラマとなっている。
吉井須磨子さんも反乱万丈の人生だと思います。
松坂慶子は吉井須磨子役で特別出演になっております。
吉井須磨子さんは、慕っていた島村抱月さんが病死したため、後を追うように自殺しています。また須磨子さんは歌う女優で日本代一号と呼ばれています。
慶子さんは「春の波涛」で吉井須磨子のライバルの川上貞奴を演じています。
日本代表する松坂慶子さんと吉永小百合さんは、長く第一線で活躍されているとは、凄い事だと思います。
- 椿姫(1988年、松竹)
- 華の乱(1988年、東映)
- 木曜劇場 窓を開けますか?(1988年1月12日 – 3月24、フジテレビ) – 主演・岸森亜希子 役
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1989年(37歳)の松坂慶子
原作は森村誠一の小説「忠臣蔵」。
テレビ東京開局25周年記念特別番組。
「12時間超ワイドドラマ」の作品です。
テレビドラマ「大忠臣蔵」で瑤泉院 役で出演。
キャスト
大石内蔵助:九代目松本幸四郎
大石理玖:岩下志麻
浅野内匠頭:近藤正臣
大石松之丞→大石主税:七代目市川染五郎
浅野阿久里→瑤泉院:松坂慶子
元禄14年(1701年)3月14日。赤穂城主浅野内匠頭が殿中(江戸城中)において、高家筆頭の吉良上野介に突然斬りかかった。
内匠頭は切腹、御家は断絶、領地は召し上げられたが、吉良にはお咎めなしという幕府の裁定が下る。
数々の「忠臣蔵」の番組が政策されていますが、今回は浅野内匠頭の正室役で松坂慶子が出演されています。
歴代の阿久里役は美人の女優さんがなされていますが、その中で松坂慶子さんは一番似合っていると思います。
夫の死後、落飾して瑤泉院と称した。
「ようぜいいん」正徳4年(1714年)、三次浅野家下屋敷で死去。享年41。夫と同じ江戸高輪泉岳寺に葬られています。
夫の浅野内匠頭が吉良上野介に斬りか駆ったことで、家は断絶、領地は没収され家来や家族は路頭に迷い家臣たちは大変な事になりました。
やはり、上に立つ人の判断で一歩間違えると皆が苦労します。
今生きる人達もいじめや極端な振る舞いは気を付けたいものです。
- ウォータームーン(1989年、東映)
- こんどの日曜日(1989年10月8日) – 主演
- 大忠臣蔵(1989年1月2日、テレビ東京) – 瑤泉院 役
- 水曜グランドロマン 花と家族(1989年1月4日、日本テレビ) – 主演
- 火曜スーパーワイド 長崎異人館の女(1989年5月30日、テレビ朝日) – 主演
- 平岩弓枝ドラマスペシャル「歳月」(1989年10月12日、フジテレビ)
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1990年(38歳)の松坂慶子
松竹映画「死の棘」に出演。
映画「死の棘」で数々の賞を受賞しています。
- 1990年 カンヌ国際映画祭 審査員グランプリ
- 日本アカデミー賞主演男優賞・主演女優賞・撮影賞・照明賞・録音賞
- 日刊スポーツ映画大賞主演女優賞
- キネマ旬報ベスト・テン1990主演男優賞・主演女優賞
- ブルーリボン賞主演女優賞
原作:島尾康雄さんが自身の体験をもとに書いた小説だそうです。
監督:栗原康平
結婚10年の夫婦が夫の浮気をきっかけに妻の精神が錯乱、家族が崩壊していくさまと、その再生を描いた人間ドラマになっています。
松坂慶子さんはほぼノーメイクで臨んでいます。
著者は素顔の松坂さんが見えていいと思いましたが、映画の内容はちょっとあんまり好きではないですね。映画と割り切って見るといいかもしれませんが。
岸部一徳さんの演技はありだと思います、一見わからないようね演技は岸部さんの雰囲気がそうさせるかも知れません。
これだけの賞を執るのだから、やはり素晴らしい作品であるという事は間違いではないと思います。
- 死の棘(1990年、松竹) – ミホ
- クワタさんとマリ(1990年1月28日) – 主演
松坂慶子の全盛期は1979年(27歳)~1982年(30歳)までの4年間。 清純派女優からの濡れ場もこなす女優へ変貌が凄い!
松坂慶子、清純派の彼女はコンスタントに出演作を重ねるも、今ひとつブレイクできずにいました。
松坂慶子の運命を大きく変えたのが、直木賞作家の五木寛之「青春の門・第二部」(自立編)です。
娼婦のカオルの濡れ場演技で、清純派で通したきた松坂慶子が脱出したのです。
『青春の門・第二部(自立編)』(TBS系)である。直木賞作家の五木寛之。
彼女の役は娼婦のカオルで、それまで清純派で通した女優の転身に世間は驚き、そして評判となっています。
オリコンヒットチャートでは、松坂のシングルとして最大の売上となり、週間最高2位を獲得。
1979年の年間ヒットチャートでも第33位にランクされる
バニーガール姿で歌う姿に日本中の男性は皆虜になったと思います。
松坂慶子は高校生の時に古賀政男ギター歌謡学院で週2回の歌のレッスンを受けて、いますから本格的です。英才教育受けています。
この美貌、スタイルまさに鉄板。鬼に金棒とはまさにこのとですね。
松坂慶子と深作欣二監督は親密になり、その後深作欣二監督映画、ドラマに数多く出演されています。
つかこうへい原作、深作欣二監督「鎌田行進曲」です。
松坂慶子は映画「鎌田行進曲」でも大胆な濡れ場を披露しています。
その女性の姿が可愛くて、綺麗で評判です。松坂慶子がいなければここまでの人気はなかったかも知れません。
「鎌田行進曲」は数々の賞に輝いています。
日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、エランドール賞特別賞、第20回ゴールデンアロー賞大賞を受賞しています。
以上理由から松坂慶子の全盛期は1979年(27歳)~1982年(30歳)の4年間だと思います。
オリコンヒットチャートでは、松坂のシングルとして最大の売上となり、週間最高2位を獲得。1979年の年間ヒットチャートでも第33位にランクされています。
②「青春の門」、「男はつらいよ浪花の恋の寅次郎」、「道頓堀川」、「鎌田行進曲」「男はつらいよ浪花の恋の寅次郎」では色気のある可愛らしい姿が映しらされています。
ヒロインでは歴代ON1かもしれません。
「青春の門」、「道頓堀川」、「鎌田行進曲」では松坂慶子は深作欣二監督映画の指導のおかげで、松坂慶子は大胆濡れ場の熱演から、軽やか笑顔を見せる好演まで演じられる存在感を示しています。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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松坂慶子・プロフィール
- 名前 松坂慶子(本名高内慶子)
- 生年月日 1952年7月20日
- 身長 162cm
- 出身地 東京都大田区
- カテゴリー 女優、歌手、司会者、タレント
- デビュー 1967年「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」でテレビデビュー1969年「ある女子高校医の記録 続・妊娠」で女子高生の一人としてスクリーンデビュー
- 学歴 日本大学第二高校卒
- 家族 (夫)高内晴彦
- 長女 百音
- 次女 麻莉彩
- 血液型 A型
- 干支 辰年
- 星座 かに座
- 趣味 読書 音楽鑑賞 絵画鑑賞 地唄舞 散歩 旅行
松坂慶子の家族
(父)松坂英明 (本名:韓英明)1974年に日本人に帰化しています。(85歳没)
(母)松坂つね子 1964年に戸籍が回復しています。(100歳手前没)
(弟)7才年下したと言う事ですが、一般人の為分かりますん。
(夫)高内晴彦
1991年に松坂慶子さん38歳の時に結婚されています。
当時は「美女と野獣」「究極の格差婚」と揶揄されていました。
長女 高内百音(もね)
次女 高内麻莉彩(まりさ)
長女は百音(もね)さん、次女は麻莉彩(まりさ)さんと姉妹揃って芸能界デビューをしたこともあるようですが、その後、二人ともハワイの大学で美術を学ばれたとのことです。
松坂慶子さんの結婚の馴れ初め
十朱幸代さんと事実婚状態だった小坂一也さんと交際したことで、「略奪愛」とバッシングされ、その後は、深作欣二監督と長い間、不倫関係にあったという、松坂慶子さんですが、ついに、1991年、38歳の時、ジャズギタリストの高内春彦(ハル高内)さんと結婚しています。
長らく悪女扱いされていた松坂さんですが、「フランス・カンヌ映画祭」の帰り、休養を兼ねてアメリカ・ニューヨークに立ち寄ると、その際、友人にジャズギタリストの高内春彦(ハル高内)さんを紹介され高内さんと交際に発展したそうです。
長年、世の男性を魅了し、恋多き女と呼ばれていた松坂さんは、常に誰と結婚するのか注目されていただけに、想定外の結婚相手に、メディアは大変驚き、「美女と野獣」「究極の格差婚」と揶揄されます。
松坂慶子のお父さんは、猛反対されたそうです。
一般論としては、反対すると思います。娘は天下の大女優。方や無名の音楽家。
お父さんは、食うか食わずの生活から、娘を大女優に育てた苦労は大変だと思います。
お父さんの高内さんに対する罵倒は半端ではなかったそうです。
松坂さんは、説得を続けたらしいですが、お父さんは(うん)と返事しなかったのです。
「あんなヒモみたいなかばうのは許せん。」
娘に言い張ったとの事です。
1992年に松坂さんは絶縁宣言したのです。
その後、松坂さんは、両親から逃れるように、高内さんの仕事の拠点だったアメリカ・ニューヨークに移住し、以降、7年間をニューヨークで過ごしているのですが、現地では、子供も2人(共に娘)出産しています。
長女 百音(もね)
次女 麻莉彩(まりさ)
お父さんは一度も孫の顔を見なかったんですね。
どんなに嫌いでも孫の顔をみると折れてしまうのですが、松坂さんのお父さんは違ったのですね。
それは、自分が生半可じゃない人生を生き抜いてきて大女優に育てた娘を取られたような気持が強かったと思います。
2007年には、高内さんと和解せぬままお父さんが他界されています。
そんな中、長年杖をついていたお母さんが、とうとう車椅子生活になってしまい、2012年に要介護3の認定を受けたことから、松坂さん夫婦が、お母さんを介護するため、同居しています。
2018年には、夫の高内春彦さんが松坂さんのお母さんを献身的に介助していることが報じられた、松坂慶子さんですが、2021年4月には、同居介護9年の末、お母さんが亡くなったことが報じられています。
松坂慶子の現在
70歳過ぎて「ようやく準備が整いましたと」の心境とのべています。これからも健康に気を付けて好きな仕事や趣味に励んで欲しと思います。
最後まで、ご覧いただきありがとうございました。
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