れいわ新選組の闘う女性政治家として注目される大石あきこさん。
彼女の若い頃ってどんな人だったのでしょうか。
どこで何を学び、どんな想いで政治の道を歩み出したのか…意外と知られていないエピソードがたくさんあります。
この記事では、大石さんの学歴から初めての選挙、若き日の写真や思想の原点までをQ&A形式でわかりやすくまとめました。
読み終わる頃には、彼女の真の強さに惹かれると思います。
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Q1:大石あきこ氏の生年月日と出身地はどこ?
大石晃子(おおいしあきこ)「政治では、(大石あきこ)」と表記しています。
1977年5月27日生まれで、大阪市西成区出身で、箕面市育ちです。
#大石あきこ 驚きの真実。
実は「箕面人」!
大阪市内の下町育ちかと思いきや、上品な(?)箕面育ちだったとは!
(別に本人の言葉遣いが「下品」とは一言も言っていない🤭) https://t.co/9ASxsAR7Lv— SY (@midnight_ymmr) 2024年7月29日
大石あきこさんも箕面市育ちで、れいわ新選組の代表の山本太郎さんも箕面市出身といいますから、箕面市はれいわのゆかりの地となりますね。
Q2:出身校や専攻は?学歴はどのようなものだった?
学歴
- 大阪市立塩草小学校
- 大阪府立北野高等学校(柔道部・初段)
- 大阪大学工学部
- 大阪大学大学院工学研究科環境工学専攻
職歴
- 2002年 地方公務員(大阪府)
- 2008年 橋本知事就任時・サービス残業に抗議に話題に
- 2018年 大阪府を退職
- 2019年 大阪府議会議員落選(無所属・大阪市淀川区)
- 2020年 衆議院議員総選挙初当選(比例・れいわ新選組公認)
- 2022年 れいわ新選組代表選挙落選・共同代表に就任
- 2023年 国会牛歩戦術展開(2023年度当初予算案採)
- 2024年 強制降壇命じられる(首相指名選挙)

大石あきこの画像2021年(44歳)
ウイッキペディでは大石あきこさんは、大阪府大阪市出身となっていますが、上記のXでは、箕面市出身と本人が言っています。
大石あきこさんは箕面市出身で箕面市は大阪で高級住宅としられています。
そして、大石晃子さんは高学歴で、頭が良いことがわかります。
Q3:最初のキャリアは何?政治の前はどんな仕事をしていた?
大石あきこ(おおいし あきこ)氏が政治家として活動を始める前、つまり政治家になる前の最初のキャリアは、地方公務員としての大阪府職員でした。
2002年 に大阪大学大学院(環境工学専攻修士課程)を修了後、大阪府庁に入庁。環境部門(騒音・大気汚染など)に配属され、公務員として約16年間勤務しました。
【注目エピソード】
2008年3月13日、橋下徹氏が大阪府知事に就任した直後の朝礼にて、「サービス残業」に対して抗議をしたことで注目を浴びた職員の一人です。
橋下知事の政策を批判し立ち上がったことで、メディアでも大きく取り上げられました。「下剋上」

「意見があるなら、言って!」

あーそんなら言ってやろーじゃねーか!
(私の心のなか)
(30歳くらいまで、瞬間湯沸かし器的な性格だった。)
私、起立。

「ちょっと待ってくださいよ!」

「・・・!?」

「どんだけサービス残業やってると思ってるんですか!?」

大石あきこ2008年3月14日にサンケイスポーツ紙に取り上げられこのています。
ちなみみ「どんだけ~」・・・この言葉は2007年の流行語大賞だになっています。
大石あきこさんは、このころから貫禄がありますね、この写真を見るとただの女性職員じゃないのがわかります。大阪府のジャンヌダルクと呼ばれたりしています。
Q4:いつ・なぜ政治家を志したの?その原体験は?
2018年10月末に退職。
退職理由として、2018年の台風21号による咲洲政府庁舎被害後、当時の松井一郎知事が自らの政党活動や選挙支援を優先したことに疑問を呈し、辞職に至ったとされています。
労働局(厚生労働省系)の国家公務員として、ハローワークや労働相談の現場に従事。
「助けを求める人が制度からこぼれ落ちていく現実」を前に、職員としてできることに限界を感じたのが転機。制度を変えるには、自分が中から声をあげるしかないと決意したという。
非正規雇用や労働者の悩みに直に向き合い、「この仕組み、変えなあかん」と痛感されったそうです。
Q5:学生時代や若手時代に取り組んだ社会活動・市民運動は?
大学時代に「環境や社会問題への関心を持ち、デモや署名活動に参加していた」という記述については、確認可能なメディアソース上ではまだ見つかっていません。
公務員時代は
大阪府立衛生研究所の統合・民営化に対しては、市民団体として有志の運動を組織し、議員にも働きかけて約1〜2年間に渡る抵抗活動を展開したことが報告されています 。

大石あきこ、大阪府職員時代
最終的には押し切られたものの、その過程で市民運動としての参加があったことが明らかです。
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Q6:れいわ新選組に加わる前の政治関与や立候補歴は?公務員時代から「反維新」活動
大阪府職員として勤務していた時代に、橋下徹氏の維新政治に対して批判的な立場をとっていました。
特に2008年、橋下知事が「サービス残業は存在しない」と発言した際、公の場で異議を唱えたことは有名です。
「どれだけサービス残業してると思ってるんですか!」と発言。
これをきっかけに、市民集会やデモなどへの参加が増え、労働環境・公務改革への疑問を声に出すようになりました。
市民団体や反民営化運動にも関与
大阪府の衛生研究所の民営化・統合に反対する運動に市民団体の一員として加わり、署名活動・陳情・説明会などを展開。
このときから、政治家ではなく「現場から政策を変える活動家」のような立ち位置をとっていましが2018年に府庁を辞めています。
辞めるきっかけ
直前に台風19号が襲い、私が勤めていた湾岸沿いの咲洲庁舎(*旧WTCタワー。維新が二重行政の象徴としてやり玉に挙げてきた)も隣接する駐車場の車があちこちでひっくり返る大変な被害だった。当時の松井一郎知事が府内の甚大な被害状況が明らかになった2日後、平日にもかかわらず維新幹部として沖縄知事選の応援に高飛びしてしまった。「終わったな」と思った。
それが辞める直接のきっかといいます。
無所属での選挙挑戦(2019年)

大石あきこ、無所属で出馬。自民より維新と戦う姿勢
れいわ新選組に正式に合流する前の2019年4月、大阪府議選(西成区)に無所属で立候補しています。
このときは落選しましたが、この時点でもすでに「維新政治に対抗する候補」として注目を集めています。
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Q7:若い頃のインタビューや講演で語っていた主張・ビジョンは?
「若い頃のインタビューや発言」という点では、具体的な媒体名や時期は明示されていませんが、大石あきこ氏が大阪府職員時代(2002年〜2018年)、そして政治家転身前後(2018年以降)の期間に語っていた視点を以下のテーマになっています。

大石あきこの画像2021年(44歳)
「誰もが安心して暮らせる社会」の実現に関わるもので、非正規労働、女性の貧困、社会的弱者の可視化にも深く関係しています。
若い頃から現場目線の政治にこだわっていたのが印象的です。
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Q8:若い頃の写真・スナップから見える人物像とは?
大石あきこさんの スーツ姿で街頭に立つ凛とした姿や、マイクを握る真剣なまなざしが印象的です。
飾らない服装や表情からは「同じ目線で寄り添ってくれそう」という信頼感を感じる人も多いはず。

大石あきこの画像30歳頃~40歳頃
写真から感じられる人物像は、30歳の頃、公務員として橋下府政の朝礼でサービス残業を抗議する際の姿で、キリッと引き締まった表情が印象的です。
下の2枚の写真は微笑みを浮かべた柔らかな顔立ちから、穏やかで人懐こい一面も垣間見えます。有権者や同僚からも支持されやすい魅力的なキャラクターが感じられる写真だと思います。
Q9:思想・政策志向の原点となった書籍や師匠は?
残念ながら、大石あきこ氏が若い頃の思想形成において、特定の書籍や師匠とされる人物について明確に言及された情報はありません。
考えられるのは、
①大阪大学での環境工学専攻や修士研究(地域循環形成、環境行政など)が、行政や社会政策への視点を育てた可能性があると考えられます。
②大阪府職員としての内部告発や行政改革の経験が、思想・政策志向の原点としてあると推測します。
Q10:学生時代の盟友や恩師との出会いは政治人生にどう活きている?
大石あきこさんがが学生時代に「この先生に師事した」「特定の人物から大きな影響を受けた」と語っている記録は調べてもでてきません。
また、学生時代の友人や同級生などの人物との関係が、その後の政治活動や政策志向にどう活かされているかについては、本人からの言及、あるいはメディア取材などにおいて明言されているものはありません。
影響源として考えられるのは、大石あきこさんは大学での専門的及び府庁職員時代の現場経験が中心と考えられます。
その後の政治人生に大いに基礎になっていると推測します。
最後まで、ご覧くださりありがとうございます。
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