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1989年(23歳)
メリー喜多川さんは藤島ジュリー景子さんに帝王学を学ばせていた経緯があります。
うちはジュリーが生まれた時から、事務所がちゃんとうまくいったら跡継ぎしなきゃいけないと思っていました。少なくとも3カ国、4カ国語は読み書きできるようにしているし、小さい頃からミュージカルえお見せていた。
と述べています。
大学時代には「藤島ジュリー」や「ジュリー・ケイ」の名義でジャニー事務所でスタイルストもしています。当時親友だった薬師丸ひろ子のスタイリストも務めていたといいます。
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1993年(27歳)
1993年藤島ジュリーはジャニー事務所に入社、スタイリスト、マネジャー、通訳などの行い1998年3月に取締役に就任しています。
藤島ジュリーさんが始めてプロデュースしたのはTOKIOで、1994年のCOデビュー当時から担当しています。
TOKIOは最初は試行錯誤の繰り返しをしています。いつの間にか小島啓が抜けています。本当のところはわからいようです。
最初はTOKIOはデビュー前は6人で活動していたと言います。
そしてデビューした時はこの5人です。
TOKIOをロックバンドスタイルの人気グループに育て上げたのは藤島ジュリーの手腕が大きと言われています。
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2001年(35歳)
2001年には新レコードレコードレベール「ジェエ・ストームの初代代表取締役に就任。
自社の初のレコードレーベル「ジャニーズ・エンタテイメント」の初代社長に就任。
「嵐」をアイドルグループにブレイクさせた実績。
1999年に嵐はデビューしましたけどしばらくCDは売れなかったといいます。
松本潤さんが出演した、2005年の「花より男子」(TBS系)と07年の「花より男子2]で松本さんの嵐に注目が集まり、藤島ジュリーさんは「嵐」がブレイクするのはここしかないと、嵐の売り込みに力をいれています。この頃は07年に二宮和也さんと櫻井翔さんが『山田太郎ものがたり』(TBS系)、08年に大野智さんが『魔王』(同系)、09年に相葉雅紀さんが『マイ・ガール』(テレビ朝日系)と、メンバーのドラマ出演が続いて主題歌にも嵐の曲が起用され、いずれも大ヒットしています。
藤島ジュリーさんは、売れないときでも、時間をかけてじっくり育てると言うスタンスのようです。苦しい時でも焦らず、ブレイクのタイミングを逃がさないように、考えている事のようです。このように攻めるとき張著なく攻めています。やはり経営手腕があると伺えます。
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