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若い頃の松坂慶子画像年表
「今まであった中で一番綺麗な人は誰」とよく聞かれますが、その時に咄嗟に出るのは松坂慶子という女優さんです。
こう話すのは、映画ライター増當竜也氏。
圧倒的貫録の美と、取材などでお会いしたときのほんわかとした柔らかな美のギャップがとても心地よく、またお会いしたくなると述べています。
著者も松坂慶子さんは話し方にほんわりとした正統派美人だと思います。
その彼女が一躍有名になったのが、テレビドラマでのバニーーガール姿です。
五木寛之原作1979年にTBS、連続ドラマ『水中花』です。
ヒロインは五木寛之直々の指名で松坂慶子。
「愛の水中花」、原作者の五木寛之さんが作詞しているのですが、当初の歌詞は全く別物だったそうで、感想を求められた松坂さんが「実感がつかめない」と正直に言ったところ、五木さんが歌詞を全て書き直し、現在の歌詞となったのだそうです。
また、レコーディングも、一旦は2回目でOKとなるも、松坂さんがマリリン・モンローの曲「帰らざる河」のように語るような歌い方をしたいと希望すると、1週間後には再録音と、松坂さんのアイデアがふんだんに取り入れられたそうです。
五木寛之先生も、松坂慶子さんの一言で、歌詞と歌い方を変えてしまうとは松坂さんの人気のほどが伺えるエピソードですね。
「愛の水中花」のレコードジャケットはその衣装を着用した写真です。
その衣装でTBSの音楽番組『ザ・ベストテン』にも出演しています。
「日本有線大賞特別賞」も受賞しています。
ドラマ『水中花』で爆発的人気なのは劇中で松坂が魅せるバニーガール姿である。
日本中の中年男性が皆、彼女を愛人にしたいと思ったそうです。
美人女優の松坂慶子といえば「水中花」・「男はつらいよ」と数々のドラマを出ていることは知っていましたが、私は、それ以外はあんまり知りませんでした。
そこで今回松坂慶子をもっと知りたくて、出演作で振り返って考察したいと思います。
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1967年(15歳)の松坂慶子
両親の思いから「イングリッド・バーグマンのような綺麗な女性になってほしい」という思いでの習い事を掛け持ちしていたといいます。
(1915年8月29日 – 1982年8月29日)は、ヨーロッパとアメリカで活躍したスウェーデン出身の女優。
松坂さんは中学校になると演劇部に入部すると、そこで知り合った友達に誘われ、1966年(14歳)中学2年生の時、「劇団ひまわり」に入団します。
同年『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』テレビドラマでデビユーしています。
松坂慶子さんの14歳で「劇団ひまわり」入団して一年後にはもうデビューしています。
松坂慶子さんの当時は、まだ美人というの面影はなく普通の健康的な女の子としか見えなかっと思います。
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1968年(16歳)の松坂慶子
TBSドラマ、ウルトラセブン「悪魔の住む花」に松坂慶子出演。
1968年に松坂慶子ウルトラセブン 第31話「悪魔の住む花」TBSドラマに出演しています。
ウルトラセブンは好きなテレビ番組で小さい時は夢中でみていたと思います。
小さい時は誰しもこんなことができたらいいなと思ったんじゃないでしょうか。
脚本家の上原正三さんはヒロインの香織役をとびきりの美少女にしてくれと鈴木俊継監督に頼み込んでおいたのにラッシュを見ると、やや太めの健康そうな女優だったので大いにがっかりしたそうです。
その女優が松坂慶子だった。
これが彼女のデビュー作で、天下の美人女優に大化けするとは思いそもしなかったと述べています。
著者も16歳の健康的普通の女の子が後に天下の美人女優になるとは想像できませんでした。
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